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介護職に丸投げできない、たった一つのこと。

介護職に丸投げできないこと

ほとんどの介護職は「善人」です。しかし「善人」だからということで、介護の全てを丸投げすることはできません。介護においては、人生の大きな選択といってよい場面が多くおとずれます。こうした大きな決断は「善人」であればできるということはなく、介護される本人の意思がどうしても必要になります(それが確認できないケースも多いのですが)。今回は、介護職に丸投げできないことは何か、そして、具体的に何を準備しておけばよいかについて考えてみました。

介護職は「聖職者」と言ってよい職種である

宗教にたずさわる人のように、人々を教え導く人は「聖職者」と言われています。転じて、人生に大きな影響を与え、人々から尊敬される対象である教師や医者も「聖職者」と形容されてきました。

こうした人々は、その仕事に高い倫理性が求められ、自他共に、人格者たることが求められています。言動の一つ一つが、他人の人生に大きな影響力を持つ仕事ですから、それも当然のことでしょう。

では、介護という仕事はどうでしょうか。要介護者の人生に、大きな影響力を持っていることは間違いありません。一人暮らしで認知症のある人、個室における施設介護なと、介護のプロが、その力を悪い方に使おうと思えばいくらでも可能なわけです。

その意味で、介護職にある人も「聖職者」と言ってよいと思われます。ただ「聖職者」だからということで、全面的にその言動を信じてよいわけではないのは、教師や医師の例をひくまでもなく、あたりまえのことでしょう。

「聖職者」だから、正しい判断をするというわけではない

介護職の人が、認知症の一人暮らしの人の買い物で、お金を預かる場面など、全国で毎日行われている光景です。このとき、よくない誘惑にかられるのは人間の業というものです。だからこそ、介護職には「聖職者」として、一般の人以上に高い倫理性が求められます。

しかし、教師や医師もそうであるように「聖職者」と言われる人々が犯罪を犯すこともあります。残念ですが、介護職が犯罪を犯すこともあります。「聖職者」というのは、やろうと思えば、いくらでも悪いことができる職種でもあるわけです。

とはいえ、ほとんどの介護職、ほとんどの教師や医師と同様に、善人です。犯罪など犯すこともありません。しかし「善人」というだけで、介護を丸投げすることはできません。介護職には「善人」という資質だけでは決められない、様々な難しい判断が求められることが多いのです。

これは教師や医師でも同じことでしょう。いかに「聖職者」で「善人」だからといって、自らの人生の全てを預けることはできないはずです。

ある介護職の経験から、その難しさを考える

身寄りがなく、1人暮らしで、生活保護を受給していた80代女性のAさんがいました。認知症の記憶障害がひどい状態で、そもそも自分の過去のこともよくわからず、知人や近所付き合いもほとんどない人でした。

そんなAさんが、ある時、腸閉塞で入院しました。日常生活はなんとか一人で送れていたAさんでしたが、認知症があるという理由で、身体拘束(体をしばるなど自由をうばう行為)され、二週間後に退院した時には床ずれができていて、自由に歩くことすらできない状態にまで身体の機能が低下していました。

そんな状態から約1年後のことです。Aさんの体重は少しずつ減り始め、血便等がみられるようになり、介護職の人々はAさんの身体に重い病があるのではないかと疑うようになりました。かかりつけの医師も「一度検査入院して精密検査しないとわからないから入院した方がいい」と言います。

Aさんはもともと病院が嫌いであり、自宅で最期まで暮らしたいという気持ちを表していました。介護職の人々としても、身体拘束をされていたときのAさんの姿が思い浮かびました。

Aさんにもし重い病が見つかれば、さらなる治療の名のもと、廃人になるまで自由を奪われてしまうかもしれません。もしかしたら、病よりもそちらの影響で命を縮めるかもしれません。身寄りがない認知症の人に対して「善人」であることと、正しい判断をすることは、簡単には一致しないのです。

介護職に丸投げすべきではないこととは?

親の介護をお願いする人を選ぶということは、親の人生をゆだねる人を決めるということでもあります。家族であっても、親の求めることを正しく代弁できるとは限りません。むしろ、要介護者と家族のニーズにはズレがあるのが普通です。

このズレの解消を介護職に全面的に任せてしまうことは、本当はダメなことなのです(現実には多数あるのですが)。大切なのは、要介護者本人の意思です。もちろん、状況が許さずに、この意思にだけ従うことはできない場面もあります。それでも、そこに本人の意思がない限り「善人」であっても決められないことは多数あります。

本人の意思を確認する方法として近年注目されているのは、本人にもしもの時がおとずれたときに、本人の意志を尊重して物事を進めてもらうために、そのとき希望することを示しておく「エンディングノート」です。

要介護者に「エンディングノート」を書いてもらうことで、その意志を、要介護者の晩年をみてくれる他者に伝えることができます。もちろん、実際にその時になってみないと、何をどう希望するかわからない部分もあります。しかし、こうしたことに取り組むこと自体が、要介護者が自分の人生を考えるきっかけになるはずです。

もう一つの考えておくべきは「後見制度」です。これは契約や財産管理など、自分で判断することが難しくなった際に、自分の代わりに、自分の権利をまもってくれる人を選んでおくという制度です。こちらは、日本ではまだ普及しているとは言えない制度なのですが、いざという時のために、考えておくべきことです。

まとめ

・介護職にある人は「聖職者」であり、ほとんどが「善人」である
・「善人」だからということで、介護の全てを丸投げすることはできない
・特に要介護者と家族の、介護に関する考え方のズレが怖い
・大切なのは要介護者本人の意思(希望)を確認しておくこと
・このために「エンディングノート」と「後見制度」が有効
 

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