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妥協しない介護など、存在しない。妥協のない人生など、つまらない。

妥協と愛の関係

妥協は本当にいけないことなのか?

私たちが、なにかに妥協するとき、そこには自分なりの理想と、その理想を目指した努力があります。逆に、理想も努力もないところに、妥協もないわけです。ですから、生きることに正面から向かい合っている人であれば、妥協することもあるはずです。

チャレンジというのは、そもそも、成功確率が決して高くないことを目標として、前に進むことでしょう。であれば、チャレンジが多い人生であればあるほど、失敗することも多くなるのは、確率の問題です。そのとき、私たちは、悔しい気持ちを味わいながら、目標をあきらめるのです。

目標をあきらめないというのは、美談ではあります。しかし、あきらめることもまた、勇気でしょう。それは、格好の悪い自分を受け入れることだし、完璧ではない自分の姿をさらすということでもあるからです。

思い通りになる人生は、本当に理想的なのか?

妥協することがなければ、人生は思い通りということになります。それは、過去の自分が、常に、未来の自分を作るということでしょう。すべてのことが思い通りということは、すべてが予定通りということです。

それでも、達成感はあるかもしれません。しかし、そこには「寄り道」がありません。私たちは、予定通りにはいかなかった過去を後悔しながらも、予定にはなかった喜びもまた、そんな「寄り道」の中に見つけているはずなのです。

「寄り道」によってしか得られない、最も尊いものは、大切な人々との出会いです。思い通りにならなかったからこそ、出会えた人々がいます。私たちは、自分にとって大切な他者を得たとき、妥協もまた悪くはないという事実に気がつきます。

ここちよい介護も、きっと妥協でできている

介護をするとき、その相手が、自分にとって大切な人であればあるほど、理想的な介護を思い描きます。そうした理想には、無理な自己犠牲がつきものです。そして介護が長期的になれば、ついに理想の実現は難しくなり、妥協することになります。

妥協のない介護とは、要介護者のために、介護者(家族)は自らの人生のすべてを捧げることでしょう。しかし、それはやりすぎです。特に、要介護者にとって、介護者が愛の対象であれば、そうした介護を望みません。

愛とは、自分以上に大事な人に対する感情だと思います。であれば、自分のために、愛する人が犠牲になることを望むような愛はありません。それは、要介護者からは望まれない行動なのです。

あなたのために犠牲になってもいいという介護者と、そんなことは望まないという要介護者のやりとりは「落としどころ」を得ます。それは妥協かもしれません。しかし同時に、そこには、双方バランスの取れた愛があるのだと思います。

一方的な愛は、妥協のない介護の犠牲になる介護者か、または、愛する人に捨てられた要介護者という悲しい結末を生みます。そこには妥協はありませんが、双方バランスの取れた愛もないわけです。

「ごめんね、本当はもっと色々なことをしてあげたいのだけど・・・」「いいよ、そんなことは望んでないんだよ・・・」
 

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