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行方不明者の12.3%を占める「徘徊」。その言葉が持つ問題と現実について。

徘徊という言葉

日本における行方不明者の10%以上を占める

認知症による「徘徊」が原因で、行方不明になる高齢者がいます。平成25年には、その数10,322人と、日本における行方不明者の、実に12.3%を占めています。ニュースなどでも、こうした「徘徊」が話題になることも増えてきました。

この「徘徊」という言葉は、本来は「目的もなく、ウロウロと無意味に歩き回ること」を意味しています。そこに、認知症になった本人の視点はありません。健康な人から見た、認知症の人の行動に対する「心ない解釈」が感じられてしまう、ちょっと嫌な言葉なのです。

認知症の人が「徘徊」するとき、多くは、そこには目的があり、意思もあることが知られています。介護には、そうした心理的背景に思いをめぐらすことが必要です。それを「徘徊」と表現するとき、私たちは、背景にある目的や意図を読み取ろうとする態度を捨てているわけです。

ニュースを観察すると「認知症で徘徊する人が問題になっています」という報道をするところと、「認知症で自宅に帰れなくなる人が問題になっています」という報道をするところに分かれます。こうしたところからも、それぞれの報道主体が、何を考えているかがわかります。

「徘徊」の背景には何があるのか

外からみると、目的もなく、ウロウロとしているように見えたとします。それでも、本人たちは「娘がお腹を空かせて待っている自宅に戻ろう」と考えていたり、「会社の行く末を決める、大事な商談の場に急がないと」と考えていたりします。

認知症の人に共通して見られる症状(中核症状)には、記憶障害(色々なことを忘れてしまう)、見当識障害(時間、場所、人物などを間違えてしまう)、認知機能障害(計算能力、判断力などが低下する)といったものがあります。

中核症状があると、自分が今いるところと時間を間違えることがあります。それによって、すでに子供が独立していても、まだ小さい子供がいると誤解してしまったりします。すでに定年退職している人でも、まだ自分が現役だと考えることもあります。

自分の帰りを待っている小さい子供のことを思いながら、その帰り道がわからなくなってしまった人の気持ちを想像すると、涙が出ます。大事な商談に向かっているときに、道がわからなくなってしまった人の気持ちを想像すると、冷や汗が出ます。

ウロウロしているのは、認知症の人の中で、愛や責任感といった人間らしい感情が生きているからです。そうした背景から生まれる焦りや不安をちょっとでも取り除くことが、周囲にいる人に求められる行動のはずです。それをただ「徘徊」と呼んで、迷惑行為として押さえつけることは、認知症の人を、人間としてではなく、理解できない他の動物として捉えるのと同じことです。

広がりつつある取り組み

次の説明文は、東京都西東京市が行った模擬訓練の記者会見資料から持ってきたものです。この説明文からは、主催者の強い想いと、認知症への理解を求めるときの難しさが理解できます。

徘徊(はいかい)とは「あてもなく歩き回る事」という意味とされていますが、認知症高齢者における徘徊と言われていた行動は、ほとんどの場合、目的があります。私たちは、その方々の目的や想いを受け止めて支えていかなければなりません。今回の訓練ではその意味を多くの方々に伝えるため、あえて「徘徊」という言葉を使っています。

今はまだ「徘徊」と呼ばれてしまうこの症状も、いずれは別の言葉になっていくでしょう。そこまで、どれほどの時間がかかるのかが、この社会の成熟度を表していると思います。

もちろん、言葉ですから、伝わらなければ意味がありません。これはまだ理想論で、現実にはそんなことを言っていられない状況があることも理解しています。ですから、私たち自身が「徘徊」という言葉を仕方なく使う場面は、まだまだあります。

それでも、この言葉の持つ問題を認識しつつ、少しずつでも、変えていきましょう。

※参考文献
・山梨恵子, 『徘徊ではないという理解のすすめ -言葉づかいから拡げていこう!認知症の人を支える町づくり』, 2014年8月11日
・西東京市, 『認知症高齢者「徘徊模擬訓練」を実施します ~安心して生活できるまち(地域)を目指して~』, 平成25年8月27日
 

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