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立場が違えば、正義も違うという「当たり前」のことが難しい

立場と正義

誰もが自分の正義を信じて生きている

マスコミからも含めて、多くの人から、やたらと批判される対象と言えば、公務員です。介護現場においても、公的な組織の融通の効かなさは、もはや日々の挨拶代わりと言ってもよいような状態です。

では、ということで実際に公務員に会ってみると、そんなに悪い人はいません。むしろ、高い志をもっていて、現状の課題も認識していたり、難しいことにチャレンジしていたりもします。よく話を聞いてみると、公務員に共感することもしばしばあります。

公務員に限らず、私たちは、日常的に、自分以外の誰かを批判します。逆に、誰かから批判されることもあります。しかし、こうした批判というのは、本当に相手の立場を理解した上でのものかというと、怪しかったりします。単なるストレス発散になってしまっていることも多いと感じます。

誰もが、なにかのプロとして、誇りと正義感を持って仕事をしています。その背景を理解しないままに、ただ批判をしても、それは虚しく自分のところだけで回転するばかりです。そして本質的な課題の解決は、かえって遠ざかったりもします。

たとえばそれは、それぞれの正義をぶつけ合うだけでは、戦争が回避できないのと似ています。他者にたいして「おまえはわかっていない」と叫ぶとき、それはそのまま自分のところに返ってくるという認識ができないのは、ある意味で、いまだに戦争を続けている人類の病気です。

自分の正義だけを信じることが、戦争にまでつながる

批判だけしていて、戦争がなくなるなら、そんな簡単なことはありません。しかし、そんなことはありえません。自分から相手への一方的な批判が通じないとき、そこで相手のことを「バカ」と決めつけることは、結局、その課題から逃げることになります。

本当に課題を解決したいなら「こいつ、バカじゃないか」と感じるときが、むしろ、チャンスだと思います。そこで思考を止めないで「どうして相手は、自分には理解できない行動に出てしまうのだろう」というところまで行かないと、ストレスを発散させるだけで、課題は解決されません。

そもそも、生命には40億年の歴史があります。そして、現在を生きている生命というのは、自然淘汰を勝ち抜いてきた存在です。ですから「バカ」というのは、本当は、そんなにたくさんは存在しえないはずなのです。

自分が、相手と全く同じような経験をしてきて、全く同じ立場にいたとします。そのとき、私たちは、控えめに言っても、相手と似た考え方をするでしょう。実際にはこの場合、相手と全く同じ考え方をするようになるはずです。

つまり、自分と相手の意見の違いを生み出しているのは、過去の経験と立場の違いということになります。そして、人間社会というのは、自分とは、過去の経験も立場も違う人ばかりでできています。

そうした「自分とは違う他者」へのリスペクト(敬意)がなければ、私たちは、ほんの小さな課題すら、解決することはできないのです。もし、目の前にある課題を解決したいと本当に思うなら、私たちは「自分の正義」を超えていかないとならないのでしょう。
 

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