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家族とはなんだろうか?それは休息日を共に過ごすだけの存在ではなかった

家族とはなんだろうか?それは休息日を共に過ごすだけの存在ではなかった

近代の家族における異常性について

近代の家族は、一般には、土曜日や日曜日といった休息日を除けば、お互いが何をしているのかさえ、よく見えないものです。極端に言えば、家族というのは、休息日を共に過ごすだけの存在になってはいないでしょうか。場合によっては、そうした休息日でさえ、お互いが何をしているかわからない状態にもなっているでしょう。

しかし旧石器時代の人類は、常に、家族で暮らしていました。休息はもちろんですが、狩猟や採集といった生きるための仕事もまた、家族で協力をして暮らしていたのです。そうした時代は、お互いの時間を含めた様々なリソースの調整は、家族の中で最適化されてきたはずです。

稲作が開始されて以降の人類は、しかし、それぞれの専門性に応じた仕事するようになっていきます。家族は「帰る場所」として認識されるようになり、共同で何かを成し遂げるチームとしての意味は、家族から剥ぎ取られていったわけです。かつて家族だった人々は、それぞれに異なる組織に所属するようになりました。

人間の結束は共通の目標に向かうときに高まる

人間の結束は、共通の目標に向かう時にこそ高まることが知られています。チームメイトとともに優勝を目指すことでもいいし、同僚と上場を目指して頑張ることもいいでしょう。悪い目標ではあっても、共通の敵に勝つことを目指す戦争もまた、同胞との絆を深める効果があることは疑えません。

近代の家族は、しかし、共通の目標というものを持ちにくいものになってしまいました。強いて言えば「子は鎹(かすがい)」というように、子育ては、そうした目標の一つにはなりえます。しかし、子供を持つこと自体が経済的にも心理的にも困難になり、子供をもたない家族も増えてきている今、それは一般論にはなりえません。

世間的にはお盆休みの今、家族で過ごしている人も多いでしょう。家族と共にある時間が貴重であり、少しでも、楽しいことを共有したいと願っていることと思います。そんな時間に終わりが来なければいいとも感じているかもしれません。しかし、家族はまた、それぞれに異なる組織に戻って行きます。

優れた介護は共通の目標になり得るか?

こうして、介護業界の周辺で仕事をしていると、奇跡に感じられるほどに優れた介護をしている家族に出会うことがあります。決して数は多くはありません。介護の現実は辛く、厳しいものであることがほとんどです。少しでも負担を減らそうと頑張ってみても、なかなかうまくいかないことが普通です。

ただ、そうした奇跡的な事例に出会うと、介護というのは、もしかしたら近代の家族が忘れてしまった、家族本来の意味への回帰のようにも思えるのです。介護は楽しいことではありません。だからこそ、家族がお互いに助け合わなければ、うまくいきません。

家族の意味を少しだけ広くとらえて、介護の負担を家族内でシェアし、介護が必要となった人に「生きていてよかった」と感じてもらうという共通の目標に向けて動くことができたら、忘れていた何かに気づけることもあるかもしれません。

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