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江戸時代の社会福祉制度に学ぶ?日本の社会福祉の未来

江戸時代の社会福祉制度に学ぶ?日本の社会福祉の未来

江戸時代の平均寿命が生み出す誤解

江戸時代の日本人の平均寿命は30〜40歳程度と考えられています。織田信長が「人生50年」と歌ったことは有名ですが、実際に、日本の平均寿命が50歳を超えたのは第二次世界大戦後の1947年のことです。

しかし、江戸時代でも70歳まで生きる人も少なくありませんでした。ここには、平均寿命という概念が持っている誤解を生み出しやすい背景があります。江戸時代の平均寿命を押し下げているのは乳児死亡率です。当時は、この世に生まれ落ちても、成人するまで生き残ることがなかなかできなかったのです。

江戸時代には、生まれた子供の半数は、5歳までには死亡していたと考えられています。当時の「7歳までは神のうち」という言葉は、7歳になるまでは、いつこの世からいなくなってもおかしくなかったということを示しています。七五三の行事も、今とは全く異なる意味があったのです。

江戸時代であっても、いったん成人すれば、50歳を超えて生きることができました。葛飾北斎が90歳にして絵を描いていたという話は有名ですが、全国を歩いて日本地図をつくった伊能忠敬が、この測量の旅に出たのは50歳を超えてからということなどは、意外と知られていないかもしれません。

「生類憐みの令」という画期的な政策について

江戸時代の隠居というと、だいたい50歳くらいからのことになります。それまでに財産をなして、あとは悠々自適に暮らすことが理想とされていました。知識と経験をもった高齢者はありがたがられてもいましたが、頑固で聞く耳をもたず、自慢話をするといったあたりは、当時でも嫌がられていたようです。

日本の社会福祉にとって、第5代将軍の徳川綱吉による「生類憐みの令」は大きな転機でした。この「生類憐みの令」は、犬を保護した愚策として取り上げられることが多いのですが、本来は、生き物を大切にするという発想が原点です。ですから、この「生類憐みの令」では、子供を捨てたり、病人を放置することも禁止されています。

歴史としてみたとき、徳川綱吉は、自助努力一本だった日本の社会福祉から、民衆による弱者救済という方向に向けたわけです。特に当時の日本の庶民は、生き物の死を「ケガレ」として認識していました。死体はもちろん、病人までも捨てたという記録が多数残されているのです。

乳幼児が死ぬことが当たり前だった時代に、今と同じ価値観を持ち込むことはできません。とはいえ「生類憐みの令」が生まれる以前の日本においては、病人となった高齢者を捨てることに罪悪感のようなものは(ほとんど)なかったと考えられています。位の高い僧侶でさえ、死ねば、道端に捨てられたのです。

「ケガレ」の意識が生み出す差別と戦ってきた日本の仏教

「ケガレ」という意識は、原始の日本に根付いていたものであり、仏教の思想ではありません。当時の僧侶は、なんとか「ケガレ」の意識に支配されている日本を変えようとしていました。そして、日本における古代の社会福祉を考えるとき「生類憐みの令」と、それに続く農村部でのお寺の建設ラッシュは見逃すことができません。

「生類憐みの令」は、発布されたものの、それを日本全国で運用するような財力は、当時の徳川家にはありませんでした。これはあくまでも発布されただけで、実際の救済は農村(村)に任されたのです。その救済を実際に運用したのは、農村の名もなきお寺でした。

現在の日本には8万ほどのお寺があります。このうちの95%は、地域住民の救済を行う、名もなきお寺です。あまりにも無秩序に数が増えてしまったので、今ものこっている「本山」のような組織制度をつくる必要性に迫られたわけです。そして、こうした名もなきお寺の運用コストは、村人が負担していました。

こうして、日本の農村は「ケガレ」に対応できる専門職をお寺としてつくっていったのです。その運用コストは、自分たちで負担してきたというところも、注目すべき点でしょう。個人の自助努力だけしかなかった日本に、村人による相互の支え合い、すなわち社会福祉の概念が生まれた瞬間です。

現代の日本における社会福祉の原点

こうしてはじめのうちは「ケガレ」を扱う専門職として成立していたお寺は、教育機関としても機能してきました。結果として「ケガレ」のようなものは存在せず、それをベースとして人間を差別することは悪であるという認識が、日本中に普及していきました。

もちろん今もなお、こうした「ケガレ」という偏見による差別が存在することも事実です。しかし、しっかりとした教育を受けている人間であれば、こうした偏見から自由です(そもそも教育とは偏見から自由になるための手段でもあるので)。

江戸時代、農村はそうして「ケガレ」と決別する形で共同体として発展しました。そして本来は、地域における支配を行き渡らせることを目的として組織化された「五人組」が、介護も担うことになります。「五人組」というと、なんだか怖そうなイメージもありますが、要するに、ご近所ネットワークです。

これからの日本における社会福祉は、日本の衰退という背景の中で、大きな政府による社会福祉から、小さな政府による江戸時代のような社会福祉に変化していく可能性があります。そのとき、ご近所が失われている現代において「五人組」が組織化できるかは不明です。しかしそれしか、日本の社会福祉が生き残る道もないかもしれません。

※参考文献
・戸石 七生, 『日本の伝統農村における社会福祉制度 ―江戸時代を中心に―』, 共済総合研究 74, 38-51, 2017年3月

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