閉じる

認知症の人に嘘をつくこと

認知症の人に嘘をつくこと

認知症の人は、何もわからなくなった人ではない

かつて、認知症の人=「何もわからなくなった人」「何を言っても、されてもどうせわからない人」「何を考えているかわからない人」と考えられていました。本人はどうせわからないのだから幸せで、そうした人の世話をすることになる周りの人は不幸だ、といった考えが一般的な認識でした。

私が介護業界に入ったのは、いまから十数年前です。その頃、認知症はまだ「痴呆症」という侮蔑的な名称で呼ばれ、先の認識が一般人だけでなく、介護職や医療職の中でもまだまだ根強く残っていました。

私が施設に勤めていた時に「子供が戻るから家に帰りたい」という認知症の人は少なくありませんでした。そして、多くの職員の対応は「他の家族が見ているから大丈夫ですよ」「明日帰れるから大丈夫ですよ」「ここが、あなたの家ですよ」という嘘をつく、ある意味で安易な対処でした。

しかし、こうした誤った認識は、もはや古いものです。認知症の人が社会的な発信を続けたたことなどで、認知症に対する正しい知識が広がってきています。介護職や医療職に対する認知症ケアの教育もまた、ある程度進んできたこともあり、こうした過去は少しずつ改められるようになりました。

介護の参考書は変わってきたものの・・・

そして、認知症の人に嘘をつくことは「あってはならないこと」「ケア無きケアの時代の負の遺産」となってきたのです。介護の参考書などでも「認知症の人に嘘をついてはいけない」と書かれていることが一般的になりました。先の認知症の人に対する誤った認識への反省が含まれているのです。

もはや、認知症の人を「何もわからない人」ではなくて「一人の人格と尊厳を持った大切な個人」として尊重するという、目指すべき理想ははっきりとしてきています。しかし、実際の介護現場や介護家族の体験記、ネット上では「そうは言っても現実はそんなに甘くない」という本音が飛び交っています。

理想と本音の間から出てきた一つの答えが「嘘も方便」という考え方です。つまり、本人は尊重すべき大切な人であるという認識は持ちつつ、しかし説明してもなかなか理解していただけないので、その人の想いに沿った嘘をつくこともやむなし、という考え方です。

嘘をついてはいけないという理想は、時に現実問題を体感している介護職や介護家族にとっては重圧でしかありません。「嘘も方便」という考え方が認められることで、そうした重圧から解放され、介護職は仕事に、家族は介護生活に向き合えるという事実はあったと思います。

この「嘘も方便」は、介護業界では名の通った実践者も違和感なく論じていました。「私たちだって全く嘘をつかないで生きてきたことはないでしょう」という一般論が持ち出され、時として嘘をつくケアも、介護の一つとして認められるようになりました。

そして、介護人材が新たにどんどん流入している現在は、認知症に対する教育や現場育成が追い付かず、教育の質も薄まっています。嘘をついてはいけないという目指すべき理想を教育されない人材が増え、こうした「嘘も方便」論を追い風に、むしろまた嘘をつく安易な対処が増えているような印象すらあるくらいです。

認知症の人に嘘をつく必要はあるのだろうか

ここまでで分かるように「認知症の人と嘘」というテーマは、具体的なケアとしての方法論よりも、考え方やスタンス、倫理観の歴史として論じられてきたのではないかと私は考えています。つまり、嘘をつくことは良いのか悪いのか、仕方ないのか、という哲学をしてきたに過ぎないのではないかという事です。

ですから、本当に求められていることは嘘が是か非かではなく、具体的なケアの方法論を考えることなのではないかと思います。その視点で言うと、私は認知症の人に嘘をつく必要性は、必ずしも高くないのではないかと考えます。

そもそも、認知症の人に嘘をつかざるを得ない状況の根本は何なのかと考えてみましょう。例えば「子供が戻るから家に帰りたい」という認知症の人の認識から始まる言動は、現実世界においては真実ではありません。しかし本人にとっては事実なのです。

つまり、そこには本人の認識する真実と、現実世界の事実にズレがあり、それをこじつけるために「他の家族が見ている」「明日帰れる」などの嘘という手法が選択されるのです。ただしこれは、認知症の人がずっと現実の世界で生きていないことを前提にしています。

しかし、認知症の人だからといって、常に、現実世界の事実からズレた認識の中だけに生きているわけではありません。実際には、認識する真実と、現実世界の事実の間を行ったり来たりしていることが多いのです。このどちらか一方を強調してしまうと、本人がより混乱してしまう危険性も高まるのです。

私の経験したケースでは

私の経験でも、ご家族がどう対処して良いかわからず、嘘を重ね続けた結果の混乱ということがありました。この場合は、現実世界の事実を1つずつ丁寧にお伝えすることで本人が納得され、混乱が軽減できたのです。

時には、なぜ施設にいるのか、なぜ介護を受ける立場にあるのか、などについてもお伝えしたことがあります。要は、本人が納得できることが大事なのです。「それは理想だ」という批判があることも理解できますが、理想がどこにあるのかを認識しないままの介護にも、問題があると思うのです。

嘘をつくことになっても、結果として、本当に皆が平穏になるのなら、それも仕方のないことです。ただ、実際の介護現場では、安易な嘘によって、逆に負担が上がってしまっているケースもあるということを、認識しておく必要があるでしょう。

個人的には、嘘をつくかつかないかよりも、否定をするかしないかのほうが、認知症に苦しむ人との付き合いでは、大切な判断ポイントだと感じています。とにかく、否定することなく寄り添い、共感しながらも、できるかぎり現実世界の事実に納得してもらうようなケアには、効果があります。

たしかに「嘘も方便」です。しかしそれは、本当によい結果につながるのであればという条件がつきます。そして、安易な嘘は、相手の尊厳を傷つけるだけでなく、一般に信じられている以上に、かえって問題をややこしくすることも多いのです。

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト

ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由