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高齢者自身が、高齢者を差別している?差別をなくすのが困難な理由について

高齢者自身が、高齢者を差別している?差別をなくすのが困難な理由について

年齢差別(エイジズム)の現在

年齢差別(エイジズム)とは、本来は、特定の年齢によらず、若すぎるからとか、高齢者だからといった偏見から生まれる差別を指した言葉です。しかし一般には、高齢者差別(老人差別)の文脈で語られることが多くなっています。それだけ、高齢者はその年齢によって差別されているということでもあります。

この分野における研究報告としては『私は三年間老人だった』(パット・ムーア著, 朝日出版社)という本が非常に有名です。当時26歳だった研究者が、変装をして85歳になり、3年間、年齢差別の状況を記録し続けたというものです。

この研究報告が明らかにしたことの根幹は、高齢者は、社会から無視されるということです。どこに行っても、高齢者は基本的に、気にかけてもらえることがありません。逆に、若さとは、なにもなくても誰かに気にとめてもらえるということでもあります。

高齢者がキレやすいという話がありますが、それもまた、この視点から説明がつきます。要するに、高齢者は社会から無視されることで、自尊心が傷つけられるということです。非常に悲しいことですが、まずはこれを現実として理解しなければなりません。

差別をなくすことの難しさについて

差別というのは、人種差別のように「あからさまなもの」はそれとわかるので、少しずつではあっても、教育によって改善されていきます。しかし、本当の意味で差別を減らしていくことが困難な理由は、多くの場合、それはその時代の「常識」と戦うことになるからです。

たとえば、いまでこそ、奴隷と貴族のような階級差別は「あってはならないこと」というのが当たり前でしょう。しかし、奴隷制度が存在していた時代には、それが「常識」だったわけです。そうした時代には、もっとも良識的な人でさえ、奴隷制度を疑うことは難しかったはずです。

ここで注目しておきたいのは、そうした奴隷制度があった時代には、奴隷(差別される対象)もまた、奴隷制度そのものへは反対していなかったということです。もちろん、奴隷であることは悲惨であり、そこから抜け出そうとはしていたでしょう。しかし、そうした制度が存在すること自体には「昔からあることだから」と、疑問を抱くことが少なかったはずです。

日本にも、武士に対して無礼をはたらいた相手を殺してよいという「切り捨て御免」という制度がありました。これによって斬り殺された町民もいたことでしょう。しかし、当時の町民(差別される対象)であっても、偉そうな武士に対して反発心は抱いても、切り捨て御免という制度そのものへの疑問は少なかったと思われます。

そもそも、財産も含めて家督を相続するのは長男という兄弟姉妹差別が法的に廃止されたのは、第二次大戦直後の1947年のことです。これ以降、やっと、配偶者や子供に対して平等な相続権が認められることになったのです。それでも今なもなお、地方では、長男が優遇される兄弟姉妹差別が残っているのはご存知の通りです。

高齢者もまた、高齢者を差別している

「もう高齢者なんだから〜」「いい歳をして〜」「あとは死ぬだけなんだから〜」といった言葉は、むしろ高齢者の口から発せられるものでしょう。それが結果として、その時代の「常識」を作り出します。しかし、そうした「常識」こそが、差別を減らすための最大の敵であることは、過去の例を考えてみても明らかなことなのです。

同じように、介護が必要になった要介護者だからといって、どうすべきということはありません。旅行をしてもいいし、仕事をすることもできるし、社会から無視される理由もありません。たとえ本人の発言であっても「要介護者になったのだから、自宅で静かにしているべき」というのは、謙虚であることとは違って、単なる差別です。

繰り返しになりますが、差別を減らしていくことが難しいのは、それが「常識」の中にこそあるからです。もっとも良識的な人でさえ、いやむしろ良識的な人こそ、自分が差別をしているということに気づくのが難しいのです。過去の悪い「常識」と戦いながら、なんとか、この社会から、多くの差別をなくしていきたいものです。

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