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もはや「蛙のための井戸」はない(キレやすい高齢者)

もはや「蛙のための井戸」はない(キレやすい高齢者)

キレやすい高齢者の問題

昨今、キレやすい高齢者が問題視されるようになってきました。高齢者の犯罪も増えてしまっています。統計として、高齢者が増えている以上に、高齢者の犯罪率が増加している点には注目しないとなりません。キレやすい高齢者というのも、都市伝説ではなく、統計的な事実かもしれないのです。

誰もが、キレる高齢者を目撃したことがあるはずです。常識的には考えられないリアクションをしており、理解不能に感じられることでしょう。しかし、そうした高齢者が増えているということは、これは高齢者の個性の問題ではなく、背景となる社会的要因があると考えるべきところです。

KAIGO LAB でも、過去に一度『キレる高齢者が生まれてしまう本当の理由』という記事で、この原因について仮説を立てて考えたことがあります。そこでは、仕事(社会的な役割)を失ってしまうことが、この原因であると主張しました。今回は、これとは別の視点から仮説を立ててみたいと思います。

「井の中の蛙、大海を知らず」の終焉

「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざを知らない人はいないでしょう。小さな世界に閉じこもっていて、その中だけを世界だと誤解している人を揶揄するものです。もって、世界に見聞を広げることを刺激することわざとして知られるようになっています。

もともとは、中国の古典『荘子』の中に出てくる表現(井鼃不可以語於海者、拘於虛也)が出典です。それだけ昔から、人間の認識というものは、自分が生活している環境に限定されてしまうものなのでしょう。逆に言えば、認識を狭いところに限定すれば、誰もが立派な人物になれるという意味でもあります。

たとえ狭い世界であったとしても、広い世界からすれば大したことがなくても、他者から尊敬されるというのは、ひとつの幸せでしょう。大切なのは、立脚するところが幻想であっても、自分なりの幸せを得ることだとすれば、井の中の蛙であることは、それだけでダメということにはならないはずです。

ここで、キレやすい高齢者が増えている理由として、かつては高齢者であれば誰もが持っていた「自分だけの井戸」が失われたということを挙げてみたいのです。これには2つの背景がありそうです。それらは(1)自分を受け入れてくれる地縁や血縁が失われたこと(2)インターネットが井戸そのものを破壊したこと、です。

1. 自分を受け入れてくれる地縁や血縁が失われたこと

現代の高齢者の多くは、高度成長期に地元を離れ、都市部に移り住んだ最初の世代になります。地元を離れたのですから、地縁と呼べるようなものは希薄です。仮にそうした地縁があったとしても、TVCMからも「24時間、働けますか?」と問われた時代です。地縁よりも仕事が重要視された時代に生きた人々なのです。また、近代の日本では、核家族化によって、血縁と言えども、それぞれが個室を持ってお互いの接触が制限されました。家族の趣味や価値観でさえ、よく理解していない可能性の高い世代でもあるわけです。そうした状況では、ありのままの自分を受け入れてくれる地縁や血縁は希薄になります。すなわち「自分だけの井戸」を持たない人が多いと考えられます。

2. インターネットが井戸そのものを破壊したこと

仮に、地縁や血縁がしっかりとしていたとしても、インターネットは残酷にも、井戸そのものを破壊する性格を持っています。インターネットが登場する以前であれば、村一番の物知りは尊敬されました。しかしインターネットの登場以降は、そもそもGoogle先生がいるのですから、村一番の物知りが重宝されることはありません。インターネットという海は、はじめから井戸という存在を許してはくれないのです。これから人生が上がっていく若者であれば、尊敬できる人を世界中に見つけることができる便利な時代です。しかし、人生の終盤にある高齢者にとっては、誰にも尊敬されない自分が強調されるばかりでしょう。この状況にあっては、まるで自分の人生のすべてが否定されたようにも感じてしまっても無理はありません。

現代では高齢者だけが、高齢者が尊敬された時代を知っている

もはや「蛙のための井戸」はありません。しかしこの状況は、高齢者にだけ当てはまるのではありません。であれば、本来は、高齢者以外の世代もまた、キレやすい状態になるはずです。しかし、そうした実感はありません。

ここで注意したいのは、現代では高齢者だけが、高齢者が尊敬された時代を知っているというところです。高齢者であるというだけで尊敬され、チヤホヤされた時代を生きた経験は、そうした人々に「次は自分の番だ」という期待を植えつけてもおかしくはないでしょう。

しかし「自分の番」は、いつになっても訪れないのです。かつての高齢者と同じように、一生懸命頑張って、我慢をして種まきをしてきたのに、それだけでは刈り取れる収穫はありません。現代の高齢者は、これにイライラしているとは考えられないでしょうか。

私たちが日々検索エンジンの窓に打ち込むキーワードは、インターネット以前には、高齢者への相談内容のタイトルでした。相談というものは、する方は恥ずかしいものですが、されるほうは自分の存在価値が再確認できて嬉しいものです。それが失われたというのは、非常に大きいことのように思われます。

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