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寺院x福祉?連携で地域包括ケアシステムを実現!

寺院x福祉?連携で地域包括ケアシステムを実現!

地域包括ケアシステムの実現可能性を高めるためには

現在、日本は地域包括ケアシステムの実現を目指し、自治体ごとに様々な取組をしています。医療・介護サービスの充実、ボランティアの育成や拡充等が上げられます。しかし、新たなものや仕組みをつくっていくことには限界があります。

そんななか、既存の社会資源にほんの少し福祉のエッセンスを加えていくと大きな力に変わるということがあります。例えば、様々な企業の職員が認知症サポーター養成講座を受けたり、新聞配達員が高齢者の見守りをしたり、コンビニや薬局に介護の相談窓口をつくるといったことが例として挙げられます。

このようなコラボレーションについて考える上で、まず「寺院×福祉」について考えてみたいと思います。日本において、仏教と介護には密接な関係がある(かもしれない)のです。これを上手に利用していけたら、日本の介護は改善する可能性があります。

日本における社会福祉の出発点

そもそも、日本における社会福祉のルーツを仏教に求める考え方があります。仏教が日本に伝来したのは6世紀のことです。言い伝えとして、聖徳太子は中国の王朝・隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院の一つとして非田院(ひでんいん)を建てたとされます。これは、道ばたの貧しい人や孤児を受け入れる施設です。

もちろん、これ以前にも、社会福祉的な考え方があったはずです。ただ、文字の発明に遅れてしまった日本において、文献でさかのぼることができる社会福祉のはじまりは、この悲田院になるようです。

仏教の慈悲の思想を、日本に導入したのが聖徳太子ということになります。この後、聖徳太子の意思を受け継ぐ形で、鎌倉時代には、叡尊(えいそん)とその弟子の忍性(にんしょう)という二人の僧侶が現れます。

叡尊は真言律宗の祖であり、当時は「非人」とされた人々に食料などを与え、ハンセン病患者のための施設もつくりました。ハンセン病は日常生活で感染する可能性がほとんどないにも関わらず、偏見と差別の対象となった歴史があります。

忍性は、自前で悲田院を再建し、差別される人や貧しい人々の救済に尽くしました。物乞いをしようにも歩けなくなってしまったハンセン病患者をみずから背負って送り迎えしたり、自分の服を売って「悲人」あつかいされた人たちに施したりといったエピソードが数多く残っています。

このように、日本の仏教には、もともと、社会からこぼれてしまった人々に手をさしのべる、とても実践的な側面を持っていました。それらは、仏教の教えとともに日本中に広がり、それと平行して、自利・利他の意識を強くもった仏教徒たちが、社会福祉的な活動を実践してきた歴史があります。

寺院の数は、コンビニより多い?

日本には、7万7,316寺(平成28年版『宗教年鑑』より)あるとされています。コンビニの数は5万5,176店(平成29年7月JAFコンビニエンスストア統計調査月報より)であり、比較すると寺院の方が約2万も数が多いということになります。

では、現在の寺院は、歴史にみられるような社会福祉的な活動をおこなっているでしょうか。もちろん、そうしたところも個別には存在しています。特に、東日本大震災のときには、多くの寺院がシェルターとして、またカウンセラーとして活動したことは、記憶に新しいところです。

ただ、私たちの日常においては、寺院は、葬儀・法事といった「死後」において関わってくる存在です。しかし本来は、東日本大震災のときのように、寺院は人々の「生」の部分にこそ貢献するものであったはずです。

生きにくい時代、生きる意味を説き、生きねばならない人々の迷いに明快な指針を提供するのは、そもそも宗教の役割でもあるはずです。そしていま、こうした日本の仏教の伝統に立ち返ろうとする仏教徒が出てきています。

現代社会における寺院のあり方を考える仏教徒たちは、ターミナル・ケア(終末期医療)を突破口としつつ、各種の研究会を立ち上げつつあります。病院やホスピス病棟での活動を行っているケースも増えてきています。

ホスピス活動をビハーラ(サンスクリット語/vihāra)という言葉に置き換えた仏教的ターミナル・ケアも、近年、注目されつつあります。これらは、新しいことのように思われますが、実は、原点回帰という側面も強いのです。コンビニより数が多い寺院が、本来の社会的な役割を果たすようになれば、地域包括ケアシステムが一気に前進しそうです。

※参考文献
・高橋 卓志, 『寺よ、変われ』, 岩波新書, 2009年
・磯村 健太郎, 『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』, 岩波書店, 2011年

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