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生きがいが思いつかない・・・要介護者の68%にも(香川県高松市)

生きがいが思いつかない・・・要介護者の68%にも(香川県高松市)

要介護者の生きがいに関するアンケート結果

要介護者の生きがいに関するアンケート事例としては、新しいもので、今年の6月に発表された香川県高松市(人口42万人)におけるものがあります。以下、このアンケート結果について、毎日新聞の記事(2017年6月8日)より、一部引用します。

高松市民を対象にした高齢者の暮らしと介護に関する市のアンケートで、要介護認定を受けたお年寄りに対する支援の必要性が浮き彫りになった。高齢者が自由に集まれる場所があるとよいといった意見も寄せられ、市は今後の保健福祉計画に反映させる。(中略)

高齢の健常者の59.0%が「生きがいがある」と答え、93.8%が自分で買い物ができた。これに対し、高齢の要介護認定者の68.0%が「生きがいが思いつかない」と答え、自分で買い物ができるのは29.3%にとどまった。また、気軽に集まれる場所が「ある」と答えたのは高齢の健常者の34.6%で、具体的にはコミュニティーセンター、集会所などを挙げた。(後略)

要介護者だから生きがいがないのか?

こうしたアンケート結果を考えるとき、どちらが原因であり、どちらが結果なのかを考えるのは、なかなか難しいことです。たとえば、先に引用した記事だけを読むと、要介護者であること(原因)が、生きがいを奪っている(結果)と読むことができます。

しかしもしかしたら、生きがいがないこと(原因)が、その人を要介護者にさせてしまう(結果)のかもしれません。フランスの哲学者アランは「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」と言いました。これと同じように、健康だから生きがいがあるのではなくて、生きがいがあるから健康を維持できるのではないかとも思うのです。

もし、こうした逆転の発想にもいくばくかの真実があるとするならば、介護予防とは、つまるところ「生きがいの創出(好きなことの発見)」ということになります。しかしそれは、なかなかに難しいことです。生きがいを持っている人は、意図してそれを生み出したのではなくて、いつのまにか持っていたというのが実情だからです。

人間が、なんらかの対象を好きになるときは、自然に好きになるものでしょう。無理やり好きになろうとして好きになれるなら、いかなる弱点の克服も容易になります。しかし現実には、誰もが自らの弱点に思い悩むものであり、その克服は困難です。

好きだったことを思い出すしかない

なにかを無理やり好きになるのが困難なら、昔好きだったことを思い出して、それに再度チャレンジしてみる(好きなことの再発見)のが最短の道ではないかと思います。ここで難しいのは、そうして好きだったことが、要介護の状態では続けられないという場合でしょう。

そうしたときは、好きだったことの抽象度を上げて考えてみるしかありません。たとえば、サッカー選手としてサッカーをするのが大好きだったとします。しかし、大腿骨を骨折して車椅子の生活を余儀なくされている場合、昔のようにサッカーをするのは難しいかもしれません。

しかし、抽象度を上げてみて、サッカーが大好きだった理由を深めて考えてみます。すると、攻守の切り替えが瞬時に起こるというサッカーらしいドキドキにはまっていたことがわかったとします。その場合は、その人はサッカーそのものだけでなく、攻守の切り替えが瞬時に起こるようなゲームが好きということにもなります。

攻守の切り替えが瞬時に起こるゲームであり、かつ、身体に障害があっても楽しめるものがあれば、それを好きになれる可能性があります。それは将棋かもしれないし、麻雀かもしれません。それこそ、テレビゲームでも良いかもしれません。

好きなことを見つけるのは、それを失ってしまった人にとっては、想像以上に難しいことです。同時にそれは、本当に大切なことだったりします。その意味においては、現代ほど、好きなことを見つけるためのワークショップが求められている時代もないのかもしれません。

※参考文献
・毎日新聞, 『要介護認定の高齢者、68%「生きがいない」/香川』, 2017年6月8日

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