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地域包括ケアを提供するのは、私たち自身でもある。この認識は、本当に広がるだろうか?

地域包括ケアを提供するのは、私たち自身でもある。この認識は、本当に広がるだろうか?

ふくれあがる介護給付

日本には、介護保険があります。日本に暮らしている人は、40歳から、このための介護保険料を支払っています。これは義務であり、勝手に脱退することはできません。そのかわり、いざ介護が必要になったときは、介護にかかる費用のうち7〜9割(所得などによって異なる)を保険がカバーしてくれるのです。

この介護保険がカバーしている部分(給付)の総額は、介護保険制度がはじまった2000年には、3.6兆円でした。これが現在は10兆円を突破しており、2025年には21兆円になると試算されています。しかし、これほど急速にふくれあがる出費を、いまの日本では容認できない状況です。

そんな中、国会では、この介護保険を支えている介護保険法が改正される見込みです。改正の細かい中身はともかく、その狙いは、こうした介護保険の給付を減らすことです。給付は減らされるのに、介護が必要な高齢者は爆発的に増えていくわけです。

なにが起ころうとしているのか?

介護保険もまた保険ですから、その品質は、掛け金に対してどれだけの給付が得られるかによって決まります。わかりにくいかもしれませんが、介護保険もまた、定期預金や投資信託などと同様に、金融商品の一つなのです(介護保険は強制的に買わされるものですが)。

話を単純化すれば、介護保険は、今後、金融商品としての品質が急速に劣化していきます。それは、決して避けることができない未来です。そうなると、具体的には(1)保険の掛け金としての介護保険料は増えていく(2)介護のために自己負担するお金は増えていく(3)同じお金で受けられる介護サービスは減っていく、ということが必ず起こります。

一部のお金持ちをのぞけば、介護が必要な高齢者の多くが、介護難民になるということです。介護難民になると、衛生面での問題が顕在化します。部屋が汚物だらけになったり、ゴミ屋敷になったりといったことです(他にもたくさん問題が出てきますが、一般には見えにくいものです)。そうした介護難民が劇的な増加をみせるのが、近未来の日本の姿です。

地域包括ケアが最後の希望である

こうした未来について語ると、面白いことに「そんなの知ってるよ」と「そんなことにはならない」という真逆の反応が返ってきます。この違いは、単に、介護現場を知っているか否かの違いから生まれています。介護現場では、このような介護難民の問題は、ずっと前から起こっていることだからです。

かつて、経営の神様とも称されたピーター・ドラッカーは「すでに起こっている未来を探せ」と言いました。10年後に主流になっていることのタネは、いま、私たちの周辺ですでに生まれているのです。ピーター・ドラッカーは、未来を予測するひとつの方法として、そうしたタネを見つけよと述べたのでした。

地域包括ケアというと、具体的にはなんのことだかわからないという人もいるでしょう。それを簡単に言えば、こうした介護難民を、介護のプロだけでなく、地域に暮らす人々の力でも支えましょうということです。国にも、高齢者の多くにもお金がないのですから、これが実現できなければ、ただ悲惨な未来が待っているだけです。

ここまでの話を読んで「これからの高齢者はかわいそうだね」と感じるとすれば、少し認識を変える必要があります。なぜなら、そうして介護難民になるのは、どこかの高齢者ではなくて、未来の私たち自身だからです。そして、地域包括ケアが機能するかどうかは、介護のプロではない市民が、なんらかの形で、地域の介護に協力していくかどうかにかかっているのです。

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