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アール・ブリュット(art brut)は「障害者の芸術」ではない

アール・ブリュット(art brut)は「障害者の芸術」ではない

アール・ブリュット(art brut)とは?

アール・ブリュット(art brut)という言葉は、フランス語で「生の芸術」を意味するものです。英語ではアウトサイダー・アート(outsider art)とも呼ばれます。アウトサイダーという言葉がネガティブに聞こえるため、あえてフランス語のアール・ブリュットが用いられることも多いようです。

アール・ブリュットは、世間一般には「障害者の芸術」という意味で考えられてしまいがちです。しかしこれは「介護=下の世話」というのと同じレベルで、大きな誤解です。本来は、この言葉自体が「障害者の芸術」という表現を否定する形で生まれたものだからです。

アール・ブリュットという言葉は、西洋美術の価値観を否定したことで有名な画家、ジャン・デュビュフェ(Jean Dubuffet)が生み出したものです(1945年に友人に宛てた手紙の中で登場する)。

デュビュフェは、それ以前は「精神障害者の芸術」と呼ばれていたものを、アール・ブリュットという言葉で塗り替えたのです。ここには、西洋美術の教育を受けたアーティストによる芸術を孤高として、障害者による芸術を、その下に見るような表現への怒りがあります。

アーティストの属性は、芸術にとってどうでもいいこと

アーティストになんらかの障害があろうとなかろうと、芸術は芸術です。それをあえて「障害者の芸術」と呼ぶことは、そこに「障害者のアートだから、まあ大目に見てよ」という無駄な意図を追加することになるでしょう。

そもそも、アーティストに芸術の教育がないということは、西洋美術の価値観を否定しようとしたデュビュフェにとっては、むしろ素晴らしいことです。アーティストが子供なのか大人なのか、障害があるのかないのか、金持ちか貧乏か、そうした個人の属性は芸術にとって無意味なものです。

このように、本来、アール・ブリュットという言葉は、芸術の価値を個人の属性で決めようとする美術界の価値観の破壊を目論む、非常に過激な言葉なのです。この背景を知れば、それをまた「障害者の芸術」という意味で用いることの間違いの大きさもわかると思います。

社会福祉に関わる人々こそ、アール・ブリュットの直訳である「生の芸術」という言葉を噛みしめる必要があります。芸術は、アーティストに障害があるかどうかといった属性ではなく、その作品そのものに投影されるアーティストの生命によって生まれるものです。

アール・ブリュットの正しい定義

デュビュッフェ自身は、アール・ブリュットについて、次のように述べています。この定義は、アール・ブリュット・コレクション(スイス/ローザンヌ)の歴代の館長らも従っているものです。なお、この定義の引用および翻訳は、参考とした文献(匂坂, 2013年)によります。

原初の人間の本質や、最も自発的で個性的な創意に負っている

完全に純粋で、なまで、再発見された、すべての相の総体における作者による芸術活動であり、作者固有の衝動だけから出発している

自発的なそして非常に創意に富んだ特徴を示し、因習的な芸術もしくは月並な文化に可能な限り負っていない

現実には、障害者による芸術活動は、社会福祉に関連した施設で行われています。そこで、アール・ブリュットという言葉を使えば、状況的にそれを「障害者の芸術」と認識してしまっても仕方がないかもしれません。

しかし、この言葉を生み出したデュビュッフェの言葉には、こうした意味はないことに注意したいところです。アーティストの純粋で、生な、作品を生み出す衝動を背景とした芸術こそ「生の芸術」であり、アール・ブリュットなのです。

繰り返しになりますが、それは、むしろ障害のあるなしを飛び越えたところにある概念です。だからといって、言葉狩りのようにして、ムキになる必要はありません。実際に、その現場にいれば、自然と感じられることでもあるからです。

アール・ブリュット本来の意味を感じるとき

こうしたアール・ブリュットの概念は、社会福祉に近いところにいる人ほど、強く実感できるものだと思います。そして、社会福祉と距離のある一般人が、これを「障害者の芸術」としてしまうのは、それとして放置しておくしかないでしょう。

しかし、そうして触れてみた「障害者の芸術」が、それを見た人の芸術とはなにかという認識を揺さぶるとき、アール・ブリュット本来の意味も自然と立ち上がってくるはずです。それは「障害者の芸術」ではなくて、まぎれもない「芸術」だからです。

フィンセント・ファン・ゴッホは、今や世界的に有名なアーティストでしょう。彼はしかし、芸術の正式な教育を受けたことはありません。また、西洋美術の枠を超えて日本の浮世絵に傾倒し、精神病に悩まされたりもしています。実は、ファン・ゴッホこそ、アール・ブリュットの体現者であるとも言えるわけです。

アール・ブリュットの最中にある人間は、自分が芸術活動に参加しているという認識すら不要です。実際に、社会福祉の現場では、ただアウトプットの衝動に従って生まれてくる作品も多いはずです。それを周囲が勝手に芸術として認識しているだけだったりもします。

それでも世間は、これを「障害者の芸術」と呼ぶのかもしれません。それは単に、芸術とは何かという大きなところが認識できていないことによる誤解なのです。その誤解は、しかし説得によって正すものではありません。ただ、芸術に触れればよいだけの話だったりするからです。

※参考文献
・宮地 麻梨子, 『日本におけるアール・ブリュットの展開』, 生涯発達研究(第6号), 2013年
・匂坂 智昭, 『宙吊りになる感性:アール・ブリュットにおける違和感』, 成城美学美術史(19), 39-61, 2013年3月

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