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進化論から考える、社会福祉の危機(フロンティアの喪失)

進化論から考える、社会福祉の危機(フロンティアの喪失)

同種を攻撃するのは、生物の本能である

残念なので、あまり信じたくないことがあります。それは、戦争に見られるような、同種の個体を攻撃するのは、生物の本能だということです。もちろん、いつでも、こうした攻撃が起こるということではありません。特定の条件がそろったときに、それは本能的に起こってしまうという意味です。

人間以外の動物は、人間のように、同種の個体を殺すようなことはないと言われることがあります。しかしこれは、過去において信じられてきた迷信です。現在では、人間以外の動物であっても、同種を攻撃し、ときに殺すということがわかっています。

同種間における生物の争いは、生存と生殖という、生物の根源に関わるリソースが不足するときに起こります。より具体的には、食料とメスというリソースが足りないとき、それをめぐる争いがオスにより起こされます(当然、例外もあります)。

人間の世界でも、殺人事件の約8割は男性(オス)が起こすことがわかっています。残りの約2割も、女性が男性にそそのかされて、というものが多いと考えられてもいます。この背景としては、攻撃性(正確には社会的地位の欲求)と男性ホルモン(テストステロン)の関連が指摘されています。

ですから、私たち人間が注意しなければならないのは、この社会に、各個人の生存と生殖が脅かされるような状態を生み出さないということです。これが、景気が悪化すると治安が悪くなり、戦争のリスクも高まってしまうという事実の背景でもあります。

人間とその他の生物が同種を攻撃するときの違い

生存と生殖が脅かされる状況では、通常は、同種の中でも、最も弱いものが攻撃のターゲットになります。たとえば、ネコによる子殺しは、オスが、メスが育てている子猫を殺すというパターンを取ります。イルカも、より小型で弱いものがいじめのターゲットになります。

人間でも同じです。1996年に、公共広告機構(AC)が「いじめ、カッコ悪い」というキャンペーンを張りました。これは、いじめは、女性にモテたいと願っている男性が、自分よりも弱いライバルを減らしておきたいという本能がいじめの背景であるという仮説に基づいているのでしょう。「カッコ悪い」という言葉が刺さるのは主に男性であり、ここをターゲットとしていることが明白だからです。

生物にとっては、同種から「弱い」「カッコ悪い」と思われないことは、非常に大事なことなのです。逆に、大人のオスから見て、自分よりも弱いことが明白な女性や子供の場合は、なんとか、大人のオスからの攻撃を避けることが死活問題にもなるでしょう。

ここで、人間とその他の生物において決定的に違うのは、弱くない、同種のオス同士の戦いにおいて、殺しあうまで争いをするのは、ほぼ人間だけという事実です。それは、他の動物の場合は、強いオス同士が真剣に戦うと、お互いがとても無傷ではいられないからです。

しかし人間の場合は、他の生物とは異なり、道具としての武器を選択して使える点が厄介なのです。人間の場合、相手よりも強力な武器を使って、さらに不意打ちをすれば、自分は無傷でも、同種の強いオスを殺害することができてしまいます。

人間以外の動物の場合も、オスの多くが武器を持っています。ただし、それらはカブトムシの角のように、体と一体化されているものであり、後から、より強力な武器に取り替えることはできません。ですから、人間以外の動物では、大人のオス同士の戦いは、簡単には勝負がつかない、ギリギリのものになります。ギリギリの勝負ですから、相手を殺そうとすれば、自分も、とても無傷ではいられないのです(攻撃力の対称性による)。

しかし人間の場合は、強力な武器を選択し、不意打ちまですれば、子供でも大人の男性を殺すことが可能です。まだ小さい子供が大人のオスを殺害できるのは、まず、人間だけでしょう。他の動物とは異なり、人間は武器を選択することで、相手との勝負をギリギリのものではなく、容易なものにすり替えてしまえるのです(武器による攻撃力の非対称性を生み出せる)。

軍拡競争をするのは、人間だけではない

植物は、水と太陽光によって、葉で光合成をすることで、生存に必要なエネルギーを得るという仕組みをとっている生物です。ですから、植物にとって、水と太陽光は、動物における食料に相当する、生存のために欠かせないリソースです。

神社などで大木を見て、スピリチュアルな気分になることもあるでしょう。しかし、植物にとって、ああした太い幹というのは、本来は邪魔なものです。幹によって背が高くなればなるほど、重力に逆らって、地中から水分などを引き上げるためのコストも大きくなってしまうからです。

では、大木はどうして、太い幹を生み出すために貴重なエネルギーを消費しているのでしょう。これは、ライバルとのリソースをめぐる争いに勝つためです。植物は、ライバルよりも背が高くなれば、太陽光を独占できるのです。これは、いわば、植物の軍拡競争です。

巨大な角を持ったオスのヘラジカも同じです。あんな大きな角は、普段の生活のためには、邪魔以外の何者でもありません。しかし、メスをめぐるライバルとの争いに勝つためには、どうしても必要なものなのでしょう。これも、軍拡競争に似ています。また、ライバルと比べて小さな角しかないと、同種から弱い存在として認識されてしまい、結果として多くの攻撃を呼び込んでしまうこともあるでしょう。

人間社会における受験勉強もまた、ライバルに少しでも差をつけることが本質の軍拡競争だと考えられます。自らを強い存在として誇示するために、必要以上の知識を身につけることで、ヘラジカの角のごとき学歴を積み上げていると考えると面白いです。それがあれば、ライバルからの直接的な攻撃を呼び込んでしまう可能性も減らせると考えられます。

核開発などに代表される世界の軍拡競争は、本質的には無駄なものです。しかしそれは、人間がバカだから続けている社会的なものではなくて、生物の本能に根ざしている避けがたい特徴とも考えられるのです。変に軍事力のバランスを崩してしまうと、ライバルからの攻撃を呼び込んでしまうという点にも、もっと配慮が必要でしょう。

トランプ的な政治が戦争に行き着くシナリオ

トランプは、そもそも大木です。彼は富裕層に生まれ、現在も莫大な資金を持っています。そのトランプが、大木の陰になっている下草とも言える民衆と約束したのは、移民を国外退去とすることで、下草の総数を減らすというものです。

下草の総数が減れば、運良く国内に残された下草は、空いたスペースに葉を伸ばすことで、少ないながらも太陽光が得られるでしょう。葉を広げるフロンティア(新天地)があれば、自らの生存と生殖は確保しやすくなるのです。

本当は、技術革新などで、新たに多くの雇用が生まれるといった、より平和的なフロンティアの拡張があれば、こんな問題は起こりません。すべての人に、生存と生殖のためのリソースが行き渡れば、争いは(ほぼ)おこならないのが生物という存在だからです。

しかし、今の技術革新である人工知能の登場は、むしろ雇用を奪い、雇用のためのフロンティアを縮小させるという特徴があります。ですから、トランプが行おうとしている、一部の下草を駆除することによるフロンティアの拡張は、一時的なものにすぎません。

このフロンティアが満席になると、歴史的には、人間のとる道は2つに1つしかありません。下草が、大木に対して攻撃をしかけるという革命がその1つです。もう1つは、下草からの攻撃を恐れる大木が、別の国にあるリソースを、自分たちのフロンティアとして位置付ける戦争です。

本当は、第3の道もあります。それは、大木が、自らの幹を低くして、上空で葉を広げるエリアも遠慮するというものです。具体的には、累進課税によって二極化を解消させ、さらに、人工知能の台頭に備えてベーシックインカムを導入することなどが考えられます。

少子化社会では、社会福祉が危機になる

人間に限らず、生物というのは、生存と生殖のリソースにあふれたフロンティアがあると、子供をたくさん作り、個体数を劇的に増やすことがわかっています。みんなに、十分なリソースが行き渡るような社会では、子供は増えるのです。

逆に、フロンティアがないとき、子供の数が抑制されます。生存のための食料をめぐって、自分のライバルになる個体を、わざわざ増やすようなことには、遺伝子レベルでのブレーキがかかるということです。

つまり、少子化社会というのは、そこに、生存と生殖のためのリソースが足りていないことの証明なのです。リソースが足りないとき、弱者が攻撃のターゲットになるのは、人間に限った話ではなくて、生物の本能です。そして少子化とは、この社会が、まだ生まれていない子供を殺しているようなものです。

今の日本において、行きすぎた自己責任論がまかり通り、国が貧困を救う必要はないという意見が世界でもっとも多いのは、要するにリソースがないからです。この流れの中では、社会福祉のレベルを維持することは困難になり、悪化の一途をたどることになるでしょう。

日本に、トランプのような政治家が現れるのも、時間の問題になってきています。その場合も、まずは社会的弱者からリソースがはがされ、それが別の下草に回されることからはじまります。そして、その次は、発達した武器を使った戦争です。少子化も、極限まで行くでしょう。

本当の解決策はどこにあるのか?

本当の意味で求められているのは、人類にあまねく生存と生殖のリソースを与えていけるような新しいフロンティアです。近代の社会では、自動車、半導体から、インターネットというフロンティアの登場によって、雇用が生まれ、このリソースが確保されてきました。

しかし今、インターネットの世界からも、フロンティアが失われてきています。過去のように、新参者が大企業になっていくようなチャンスは、もうありません。新たな雇用も、それほど生まれないでしょう。

人類には、自動車、半導体、インターネットに変わる、次のフロンティアが必要なのです。ベーシックインカムも、フロンティアがなければ、それを支えるだけの税収が期待できません。

シナリオとして期待したいのは、人類から雇用を奪う人工知能ではなくて、医療と宇宙開発といった新しいフロンティアです。こうした新しいフロンティアが、その莫大な投資に見合うだけのリターンが得られる段階に至れば、人類は次のステージに移行できるでしょう。

しかし、本来は、フロンティアを広げるための手段であるはずの人工知能が、逆に、人類から新しいフロンティアを奪うという方向に寄与してしまうとき、私たちは、滅亡するのかもしれません。

草食動物と肉食動物(ほぼ余談です)

ヘラジカのような草食動物が、同種の屈強なオスと争うのは、生殖(メス)だけです。生殖は争っても、草食動物が、生存のための食料を争うことはありません(もちろん例外もあります)。

草食動物の場合、その生存を決める食料は植物だけです。植物はしかし、それを争って勝った結果として独占できるエネルギー量が、争いに使われるエネルギーとリスクに見合わない(ROIがマイナスになる)のです。

また、ヘラジカのように極端に大きな角を持つ動物は、その多くが、繁殖期を終えると角を落とします。これは、メスというリソースをめぐる争いが終われば、ライバルを蹴落とすための武器は、完全に無駄なものになるという証明です。

これに対して、肉食動物の場合は、餌場をめぐる争いが起こります。肉食動物の生存を決める食料(特に動物性たんぱく質)は、エネルギー量が大きく、争ってでも手に入れるだけの価値があるからです。

その点、雑食であり、かつ特定の繁殖期を持たない人間の場合は、生存(動物性たんぱく質)と生殖(メス)を争う必要があるため、永続的に備わる角としての武器が必要だったはずです。それが知性という方向での軍拡競争(そして受験戦争)につながったのかもしれません。

「学歴に意味があるか」という問いは、ヘラジカに対して「角に意味があるか」と問うことと同じです。生存と生殖のためのリソースが潤沢にある世界では、どちらも意味がありません。しかし、リソースが不足するときは、残念ながら意味を持ってしまいます。

くだらない軍拡競争に貴重なリソースを使う必要のない、平和な世界を実現するには、潤沢なリソースが必要なのです。人類が、新しいフロンティアを開拓するために手を取り合い、人類全体のリソースを増やすような活動に向かわない限り、平和は得られないでしょう。

※参考文献
・アザー・ガット, 『文明と戦争(上)』, 中央公論新社(2012年)
・法務省総合研究所, 『法務総合研究所研究部報告48/第3節』, 2012年
・萩 隆之介, 『統計数字で見る経済と治安の相関性』, グローバル経済(2016年11月号)
・団 士郎, 『家族理解入門』, 中央法規(2015年)

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