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あまりにも重要なのに忘れられてしまう、2つのモチベーションとその管理について

2つの大切なモチベーション、その育成と管理について(モチベーションは魔物である)

2つの大切なモチベーション

モチベーションには、2つの大切なものがあります。1つは「知りたい」というモチベーションです。これは、生涯に渡って勉強を続けていくために重要なものになります。もう1つは「誰かの役に立ちたい」というものです。これは、他者からの信頼を積み上げていくために重要なものになります。

長く勉強を続けていくことは、結果として、なんらかの優れたスキルの獲得につながるでしょう。また、他者からの信頼を積み上げていくことは、結果として、優れたリーダーシップにつながっていきます。

個人が、もっとスキルとリーダーシップに長けた人材になれたら、素晴らしいことです。それによって、この社会はより良い場所になるでしょう。逆に、スキルもリーダーシップも、ずっと足りていないままであるならば、個人の人生からも、この社会からも、希望が失われていくでしょう。

これら2つのモチベーションが、個人の幸福にとって重要な意味を持っていることは明らかです。これらが、究極的には、よりよい社会を築くための礎となることも、疑えない事実でしょう。しかし、これらのモチベーションは、意外なほどに正面から注目されることが少ないように思います。

モチベーションという魔物を管理するのは誰か

実は私たちは、日常的に、モチベーションを奪われています。勉強しなければという義務感はあっても、なかなか勉強が進まないということはよくあることです。また、誰かの役に立ちたいと感じることがあったとしても、自分のことで手一杯と考えてしまうこともあるでしょう。

モチベーションは、なかなか自分の自由にならないということです。逆にいうなら、私たちは、モチベーションという魔物の奴隷でもあります。この魔物がいうことをきかないと、私たちは、スキルもリーダーシップも乏しいまま、自分の人生を不安な気持ちで見つめることしかできなくなってしまいます。

末期的になると、自分のモチベーションが上がらない理由を、他者のせいにしてしまいます。「今の上司は、自分のモチベーションを下げるような発言ばかりをする」といった言葉は、天につばするようなものです。結局、こうした言葉は、自分で自分のモチベーションが管理できないということを示しているだけだからです。

もちろん、過労死が生まれてしまうような極端な状態の場合は、モチベーション以前の問題になります。しかし、こうした極端な例を除いても、それでも仕事とはそもそも大変なものです。そうした大変な環境にあっても、どう自分のモチベーションを管理していくのかは、本来は自分の課題なのです。

大人として、自らのモチベーションを育成していくために

子供であれば、モチベーションが上がらないことを、親や教師のせいにできるところもあります。子供ではとても、モチベーションという魔物にはかなわないからです。子供だけは、勉強や部活動に身が入らないのを、他者のせいにすることが許されます。

しかし私たちは、大人になるにつれて、自分のモチベーションを自分で管理していくことを学んでいきます。大人になれば、中間テストや期末テストはありません。しかし、こうした試験がないからといって勉強(生涯学習)を怠れば、それはそのまま、その人の人生に跳ね返ってきます。

繰り返しになりますが、自分の人生を大きく左右するのは、モチベーションです。しかし、モチベーションというのは、ただ放置しておくと、置かれている環境によって簡単に上下してしまいます。この魔物の手綱をしっかりとにぎり、魔物が正しくない方向に向かおうとするとき、それを制御する力こそ、重要なものです。

もちろん、優れた上司というのは、優れた教師と同じように、上手に部下のモチベーションを高めてくれます。しかし、いかに優れた上司であっても、部下の人生そのものに責任を持つことはできません。人生は、あくまでも、その本人のものだからです。

運良く、優れた上司にあたることもあるかもしれません。それでも最終的には、自分のモチベーションに責任を持てるのは、自分をおいて他にいないのです。この点について理解しておかないと、人生は全てを運任せになってしまうでしょう。

どうしても、教育本来の目的を理解しておきたい

よく誤解されるのですが、教育にとって、モチベーションというのは、高い業績(成績)を生み出すための手段ではありません。高い業績(成績)というのは、教育にとっては、あくまでもオマケのようなものであり、教育の目的とするところではないのです。

教育の目的は、先に述べた「知りたい」、「誰かの役に立ちたい」という、モチベーションを引き出すことにあります。この2つのモチベーションこそ、たった一度の人生を、真の意味で豊かなものにするための原動力だからです。

これらのモチベーションがあれば、結果として高い業績(成績)もオマケとして生まれるかもしれません。しかしそれ以上に、その個人が幸せに生きていくための基礎が構築されることのほうが、ずっと重要で本質的なところです。

自分の人生に影響を与えてくれたような教師のことを思い出してみてください。そうした先生は、受験テクニックを教えてくれたわけではないでしょう。受験テクニックではなくて、担当する教科の面白さを高い次元で教えてくれ、私たちの中にある「知りたい」というモチベーションを喚起してくれたはずです。

また、部活動の顧問の先生などの場合は、チームワークの素晴らしさを教えてくれたでしょう。そうした顧問の先生の場合は、その部活動が大きな大会で優勝すること以上に、チームメイトの役にたつ喜びを教えてくれ、私たちの中にある「誰かの役に立ちたい」というモチベーションを刺激してくれたはずです。

教育にとって、高い業績(成績)というのは、相手のモチベーションを引き出すという目的のための手段にすぎません。ここについて誤解があると、子育てはもちろん、組織における人事制度の設計でも、そのスタートから大きく間違うことになってしまいます。

たとえば、人事制度として多くの組織で採用されている目標管理制度というのは、正しくは、目標によってモチベーションを管理する制度です。目標そのものを管理する(Management Of Objectives/MOO)のではなくて、目標によって(モチベーションを)管理する(Management By Objectives/MBO)であることを理解していないと、設計も運用もできません。

優れた教師(気づきの機会)を探すことの重要性について

繰り返しになりますが、あくまでも、自分のモチベーションのありかたについて責任を持っているのは、自分自身です。同時に私たちは、自分のモチベーションを、他者からの影響なしで、自分ひとりで管理するのが苦手な生き物でもあります。

だからこそ私たちは、自分のモチベーションを刺激してくれるような、優れた教師(気づきの機会)を求めていくべきなのでしょう。自分の「知りたい」、「誰かの役に立ちたい」というモチベーションを刺激してくれる人(きっかけ)を見つけることができたら、旅の半分は終わったことになります。

注意しておきたいのは、こうした優れた教師(気づきの機会)は、こちらから求めないと出会うことができないという点です。子供のころと違って、義務教育などありませんから、教師のほうから近づいてくることはありません。あくまでも、求める者だけが得られるという構図になっています。

読書やセミナーへの参加でも構いません。カルチャー・スクール、ビジネス・スクールや社会人大学院に通うことを考えてみてもよいかもしれません。結局のところ、どれだけ多くの時間を、優れた教師(気づきの機会)を探すことに費やしたかが、その人の人生に大きな影響を与えるということです。

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