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インクルーシブ教育で目指す共生社会。誰もが活躍できる世界を目指して。

インクルーシブ教育で目指す共生社会

インクルーシブ教育とは

インクルーシブ教育という言葉を聞いたことがあるでしょうか。インクルーシブ教育とは、簡単にいうと、障害のある子供と障害のない子供が、共に学ぶ仕組みです。日本では「包容する教育」と訳されています。

かつての学びや遊びの原風景を想像してみてください。学校から帰って来るやいなや、カバンを放り投げて、近所の広場に集まってくる子供たちの姿が思い浮かんでくるのではないでしょうか。

そこに集まる子供たちは年齢もバラバラで、家庭環境もバラバラです。過去の世界には、体が強いとか、弱いとか、障害のあるなしに関係なく、みんなで遊ぶ環境があったのです。

こうした時代を生きた人びとは、自然と、歳の離れた子供の面倒を見たり、体の弱い子の世話をしたりすることもあったでしょう。少し大げさですが、この世界に多様な人間が存在し、その人たちと共に生きていくことの大切さを肌で感じることが出来た時代といえるかもしれません。

失われたものを取り戻す

では、今の社会はどうでしょう。放課後に近くの原っぱで追いかけ合っている子供たちはほとんど見かけません。公園に子供が集まっていると思いきや、その手には携帯ゲームが握りしめられていて、ジャングルジムに座ってじっと通信ゲームをしている場面もよく見かけます。

最近はポケモンGOの影響で、歩き回っている子供たちを見かけるようになり、遊びの形にも変化が起きることも期待されていますが・・・。それでも、なかなか多様な子供たちが一堂に会して遊ぶ光景は見られなくなったように思います。

インクルーシブ教育は、まず人間の多様性を尊重できるようになることを目指しています。つまり、誰もが相互に人格と個性を尊重し合い、人々の多様な在り方を、相互に認め合えるようになるということです。

また、障害をもった子供たちが、精神的および身体的な機能を最大限まで発達させ、自由な社会に効果的に参加できるようにすることも目指しています。まさに全員参加型社会を目指しているのです。

これが、結果として介護のありかたにも影響を与えるのは明らかでしょう。なんらかの障害をかかえて生きることへの理解が進めば、介護は、よりよいものになっていくと考えられるからです。

日本の教育の現状とイタリアのインクルーシブ教育

2013年4月1日現在における、日本の子供の数(15歳未満人口)は、前年に比べ15万人少ない1,649万人でした。1982年から32年連続で減少し、過去最低の数となっています。しかし、その一方で、文部科学省の調査によれば、特別支援学校の数は2005年の1,002校から、2012年には1,059校と増加しています。

また、特別支援学校の在籍者数についても、2005年の101,612人から、2012年では129,994人と、28,382人に増えているのです。子供の数が減っているにも関わらず、特別支援学校への在籍数が増えていることは見過ごせません。

特に、近年では学習障害や自閉症、注意欠陥多動性障害などの、発達障害を抱える子供たちが増えています。インクルーシブ教育を目指しているものの、実際はすべての子供が通常学級で学ぶというのが難しい状況です。

日本ではこれまで通り、特殊学校も活用したうえで、特別支援校や特別支援学級の充実を図ることで対応しているのが現状です。

他国の状況を見ると、イタリアがいち早く、完全インクルーシブ教育を導入しています。イタリアは、公立の特殊教育学校及び通常の学校内にも特殊学級が存在しない国です。イタリアでは障害を持っている子のじつに99.6%がインクルーシブ教育を受けています(2009年)。

つまり、ほとんどすべての障害を持った子供が、通常の学級で、障害を持っていない子供と一緒に学んでいるということです。

イタリアにおいて、このような教育制度が成り立っているのは、徹底した個々への支援、特別な教育手立てが提供されているからです。それぞれの学校には支援教師が配置され、学級は小規模化されています。また、それぞれの障害特性にあった個別教育計画が作成されています。さらに、地域保健機関などとの連携協力も充実しているのです。

この背景には、合理的配慮(ごうりてきはいりょ)という考え方があります。合理的配慮とは、障害者が社会参加する上で障壁となるものを、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会の側が取り除いていくことです。

これから求められる合理的配慮とは?

日本においても、障害を持つ子供たちが、一般の教育制度から排除されないようにするためには、個人に必要な合理的配慮がなされていかなければなりません。2016年4月からは障害者差別解消法が施行されているので、合理的配慮の不提供は禁止されています。

例えば、車いすでの移動を余儀なくされている生徒がいた場合、周りの生徒と同じように動けないからという理由で「修学旅行には来ないでください」ということは言えません。聴覚障害をもった生徒が「授業の際に手話通訳さんをつけてください」との申し出があった場合にも、学校側としては何らかの配慮を検討しなければならなりません。排せつ介助を必要とする大学生が、それを理由として、大学への入学、あるいは講義の受講を拒否されることもあってはならないのです。

もちろん、この合理的配慮の線引きをどこでするかは、ケースバイケースであり、関係者間の合意形成が重要になります。一般には「特別扱いは認めません」という対応が行われることが多いのですが、それは、むしろ差別になってしまうという認識が必要なのです。

これから様々なケースが発生し、場合によっては裁判等にも発展することもあるかもしれません。新しいチャレンジですし、多様性を尊重しあう社会の実現に向けては、仕方ない過程かもしれません。

教育の現場がこのような大きな方針転換を行っているということは、もちろん社会にもそれが求められるということです。社会が求めているから教育の場に求められているといってもいいでしょう。

いずれにせよ、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者たちが、積極的に参加、貢献していける社会を、みなで目指さなければなりません。インクルーシブ教育の中で育ってきた子供たちが、将来的には多様性を極める介護の場面においても、活躍してくれることを期待したいものです。

※参考文献
・文部科学省, 『初等中等教育分科会(第80回), 1 共生社会の形成に向けて』, 2012年7月13日
・若松 昭彦, 『インクルーシブ教育システムの推進に関する一考察』, 学校教育実践学研究, 第20巻, 183−194, 2014年

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