閉じる

動物行動学から考えた「涙」の役割について

動物行動学から考えた「涙」の役割について

人間の「涙」には特殊な側面がある

目が乾いてしまわないように一定量の「涙」を維持(=基礎分泌)したりすることは、どの動物にもあることです。また、目に入ったゴミを「涙」によって洗い流す(=刺激性分泌)といったことも、人間に限ったことではありません。

そうした、他の動物にもみられる「涙」と決定的に異なる、人間らしい「涙」とは、感情の高ぶり(=情動性分泌)によって生じる「涙」です。悲しい気持ちになったり、何かに感動したりしたときに「涙」を流すのは、人間だけの特徴でもあります。

科学的には、情動性分泌による人間の「涙」には、相手の攻撃性を低下させる効果が指摘されています。「涙」を流すためには、それなりのエネルギー消費がありますから、これが人間の生存や生殖に対してなんらかの意味があると考えるのが動物行動学のアプローチです。

人間の場合、誰かが「涙」を流していると、それが他者からもはっきりとわかる構造になっています。おそらく「涙」は、人間にとって、他者とのコミュニケーション手段だということです。では、人間が「涙」を流すということは、誰に、何を伝えようとしているのでしょう。

「涙」は、他者から助けを引き出すための信号

この点については、動物行動学者の小林朋道教授(鳥取環境大学)による興味深い仮説があります。それは、人間の「涙」は、他者から助けを引き出す(=他者の庇護をうながす)効果があるというものです。

進化上の発達としては、幼児が親の助けを引き出すときに、泣き声とともに「涙」という信号を使うことは無視できません。信号としての「涙」が、親による子供の庇護をうながすわけで、ここには、発達した本能があることは明らかでしょう。人間は「涙」をみると「保護しなければ!」という感情を刺激されるということです。

大人が、自分が「涙」を流しているところを、誰かに見られたくないと感じるのも、それが、相手に助けを求めてしまう弱さを表現するからでしょう。とはいえ、常に「涙」を隠すようなクセがついてしまうと、本当に助けが必要なときに、それが周囲に伝わらなくなってしまいます。

大自然の圧倒的な美しさを前にして流す「涙」もまた、人間が大いなる存在に対して助けを求めるという側面があるのではないか、というのが小林教授の仮説です。自分を悩ます人生の困難など、この宇宙からすれば小さいことだと感じるとき、私たちは、そこに庇護を求めようとするという理屈です。

うまく「涙」を流せない人もいる

介護という文脈でも、要介護者と喧嘩をして、要介護者も介護者も、どちらも「涙」を流すことがあると思います。科学的には、相手に自分の「涙」をみせれば、それによって、相手の攻撃性は下がります。結果として、喧嘩の原因となった感情もまた、消えていくのでしょう。

しかし、特に男性は、社会的な教育もあって、上手に「涙」を流すことができない場合もあります。女性でも、それが苦手な人もいます。そうなると、ちょっとしたことで発生した喧嘩であっても、その収拾がつかなくなり、関係性がこじれてしまうこともあります。

「涙」を流すことが下手な人との付き合いにおいては、表面的には「涙」がなくても、その内面において「涙」を流しているのかどうかを察することが求められるということです。そして、誰かが、本当は泣きたいのかどうかについて想像してあげられる能力のことを、私たち人間は「優しさ」として評価してきたわけです。

※参考文献
・小林 朋道, 『ヒトの脳にはクセがある』, 新潮社(2015年)

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト

PR