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「三人寄れば文殊の知恵」は本当か?ブレストの可能性と限界について考える

三人寄れば文殊の知恵は本当か?

「三人寄れば文殊の知恵」とは?

まず「文殊」とは、知恵をつかさどる「菩薩」のことです。「菩薩」とは、真理を求める修行者における最高位にある人のことで、仏よりも一段だけ低い地位にあることを意味します。悟りに近いところまでたどり着いた人のことです。

「三人寄れば文殊の知恵」とは、凡人であっても、三人で集まって考えたりすれば「文殊」に劣らないような知恵が出せるという意味の格言になります。一人で悩んでいないで、誰かに相談してみるべき、というような場面で使われることが多いでしょう。

高校生が対象のクイズ番組などでも、3名ほどの高校生がチームになって、お互いの知恵を支え合いながら戦うようなものがあります。ああした番組を見ていると、確かに「三人寄れば文殊の知恵」ということはあるように感じられるでしょう。

また、介護においても、一人で悩んでいるのはよくないことです。そうしたこともあり、介護の世界でも「三人寄れば文殊の知恵」という言葉は、よく聞かれるものになっています。

学術的には「三人寄れば文殊の知恵」は否定されている?

実は、学術的には、この「三人寄れば文殊の知恵」ということは、どちらかというと否定されています。わかりやすい例としては、高度な数学の問題を、凡人が3人集まれば回答できるか、といったものがあります。これは、無理な話です。

現実には、3人のうちの個人レベルで存在していない知恵が、3人集まることの相互作用によって生まれることは(まず)ありません。逆に、3人の中の誰かが持っている知恵を、他の2名が有効に活用するということはあります。

そうなると「三人寄れば文殊の知恵」というのも「自分の知らないことは、知っている誰かに聞こう」という狭い意味においてのみ正しいということになります。嫌な話かもしれませんが、勉強している1人の専門家に、勉強していない3人はかなわないということです。

創造的な問題解決におけるブレストは有効か?

ビジネスの世界においてブレスト(ブレインストーミング)が注目されて久しいです。ブレストでは、アイディアを否定せずにどんどん出し、自由な発想を刺激しあうということが実行されます。背景にあるのは、アイディアの数が質を生むという発想です。

しかし、こうしたブレストも、様々な組織で好まれているにも関わらず、学術的な有効性は確認されていません。アイディアを生み出すのも、天才的な個人1人に対して、3人の凡人はかなわないというのが現実に近いようです。

経営危機になった会社も、いくらブレストを繰り返しても、よい方向には行きません。経営危機を生み出してしまった経営者を、より優れたアイディアを持った人材に変えないと意味がないのです。

では、ブレストは無意味なのか?

では「三人寄れば文殊の知恵」という考えを前提としたブレストには、全く意味がないのかというと、そんなこともありません。特に、品質管理(QA)の現場など、ミスが許されない環境においては、複数の人が集まって議論することが有効であると考えられています。

斬新なアイディアや、難しい問題解決においては、学術的には否定されています。しかし、致命的なミスがないかどうかといったチェックには、多くの目が関わったほうが有効であることもわかっているのです。

そうした意味では、一人で悩まないで、複数の人に相談したほうがよい場合というのも、見えてきます。それは、介護といった難しい課題への対応において、致命的なミスがないかどうか、自分では気づけない間違いがないかどうかを確認するときには、誰かに相談したほうがよいということです。

また、そもそも具体的な問題の解決ではなく、誰かと関わることによる精神的な安定が求められるときは、複数でいることが重要です。また、家族会への参加のように、先輩から考え方について学ぶような場合もまた、意味があります。

※参考文献
・田中堅一郎編, 『産業・組織心理学エッセンシャルズ』, ナカニシヤ出版(2011年)

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