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豊かな感情の記憶は、写真や音楽とともにある(情操教育の意味について)

情操教育の意味について

五感(five senses)について、今一度考えてみる

人間が、自分の外側の世界(外界)を感じるときに五感(ごかん)を用いているということは、古代ギリシアのアリストテレスが指摘したことです。それが、今でも通用しているということには、あらためて、アリストテレスのすごさが理解できます。

五感とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のことです。それぞれの感覚は、目、耳、皮膚、舌、鼻がセンサー(sensor)の役割を果たすことによって生まれています。こうしたセンサーがあり、そこから感覚が作られているからこそ、私たち人間は、外界からの刺激に対して、適切な対応ができるのです。

実は、現代の科学的には、こうした感覚は5つに留まらず、たとえば平衡感覚のように、他にも重要な感覚が複数あることがわかっています。それでもなお、五感という言葉は、今も世界で広く通用するものになっています。

センサーが生み出すからこその限界がある

センサーの役割は、その瞬間における外界の状況を、できるだけ正確に感じとることでしょう。これらのセンサーの存在には、人間の生存を支えるという目的があります。

たとえば嗅覚や味覚は、目の前にあるものが食べられるのかどうか、毒が入っていたり、腐っていたりしないかどうかを判断するためのものです。鼻や舌が、そのセンサーです。視覚や聴覚は、外敵の存在を察知したり、獲物を見つけたりするためのものです。目や鼻が、そのセンサーです。

センサーが誤動作してしまうと、外界を正しく認識できなくなります。外界が正しく認識できないと、毒をもった生物を食べてしまったり、外敵に襲われてしまうことになり、子孫を残せる確率が下がります。ということは、自然淘汰されずに現代まで生き残っている人間は、誤動作の少ない、優れたセンサーを持っていることになります。

ここで、センサーが正確であるために、どうしても重要になる機能があります。それは、それぞれの瞬間を正しくとらえるため、過去に感じたことは(簡単には)思い出せないようになっているということです。

たとえば、カレーの味を思い出してみてください。実際に舌にカレーの味を感じられますか?ラーメンでは?チョコレートでは?面白いことに、それが自分が大好きな物の味であっても、舌というセンサーでリアルに感じられるほどに、それを思い出すことはできないのです。

仮に、こうした過去にセンサーで感じたことのあるものを正確に思い出せる場合、目の前にあるものを感じるときに大きなノイズになってしまうでしょう。口に入ろうとしているのが毒なのに、そのときにカレーの味を思い出してしまったら、毒でも口にしてしまう可能性が高まるからです。

しかし、思い出せないからといって、忘れてしまっているわけではありません。カレーも、口に運んだ瞬間には「これはカレーだ」と判断できるでしょう。思い出せないだけで、忘れてはいないという部分が重要なのです。

私たちには、外界の状況を正確に把握するために、非常に優れたセンサーが備わっています。これは同時に、私たちは、過去に得た感覚が(簡単には)思い出せないようにできているということでもあります。

思い出したい感覚もまた、なかなか思い出せないけれど

困ったことに、私たちは、過去に得た大事な感覚まで思い出せないようにできています。大切な友人と抱き合ったときの触覚、勉強をすると決意して深呼吸したときの嗅覚、幸福のうちに家族と食事をしたときの味覚・・・

友人のありがたさ、勉強の決意、家族との時間など、人生にとって本当に大切なものであっても、その実感を支えているセンサーが感じたことは、思い出せないのです。悲しい感覚は思い出したくないですが、自分として大事にしたい感覚まで思い出せないのは、とてももったいないことです。

ここで、朗報があります。視覚と聴覚については、過去と全く同じものを手軽に再生できるということです。具体的には、写真と音楽がこれに相当します。思い出の写真は、そのときの視覚を保存したものです。思い出の音楽も、そのときの聴覚に得たものと全く同じものを再生できます。

自分にとって宝物になりえる瞬間があれば、将来、それを思い出せるように、写真に残したり、そのときに聞いていた音楽をメモしておいたりすればよいのです。情操教育(感情や情緒の教育)と呼ばれるものの多くが、視覚と聴覚に訴えかける形式になっているのも偶然ではないのでしょう。

写真と音楽は、喜怒哀楽に満ちた自分の人生という「映画」の再生スイッチになっているのです。この事実を認識すれば、私たちは、人生の天敵である「退屈」に打ち勝つことができます。

介護においても、写真と音楽を上手に利用する

認知症の人であっても、昔聞いた音楽に触れると、症状の回復や改善につながることが知られています(暴言や徘徊が減るなど)。懐かしい写真にも、同様の効果があると聞きます。

高齢者になると、社会的に新しい経験を得る機会が減ります。もっとストレートに言えば「退屈」な時間が増えてしまうということです。そうしたとき、最も豊かで面白い「映画」が、自分の中に蓄積されていることを知っているかどうかは、高齢者としての人生のあり方を左右するでしょう。

情操教育は、人生を振り返り、それを豊かに味わいながら、自分にとって大切なことを思い出すスキルにつながっているのです。これはもちろん、視覚と聴覚に限ったことではありません。とはいえまずは、日々の中に大切な感覚を得た場合、それを写真や音楽と結びつけておくとよいと思います。

一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで。

『千と千尋の神隠し』、銭婆のセリフより

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