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高齢者は「社会のお荷物」ではない。

高齢者は「社会のお荷物」ではない

フレイレの「意識化」を促す教育

ブラジル人の教育学者、パウロ・フレイレ(1921-1997)は、卓越した成人識字教育で注目されました。フレイレによる識字教育には、社会から不当に抑圧されている人々を救い出すという目的がありました。

フレイレの識字教育は、ただ読み書きを教えるのではありません。読み書きを通して、現実の社会の状況や、社会と自分の関係がわかるようになること(=意識化)を目指します。この意識化ができないと、社会から抑圧されている人は、その事実に気がつくことができないからです。

すべての抑圧は「いつの間にか作り上げられた価値観」によって発生しています。しかも、こうした抑圧を受けている人自身が、この「いつの間にか作り上げられた価値観」を受け入れていることが多く、自分が被害者だという目線を持つことが難しいのです。

奴隷は、自分が不当に抑圧されていることに気がつくことがなかなかできません。負け組というレッテルを貼られると、その抑圧によって、自分の能力に自信を失ってしまうこともあります。言うまでもなく、いじめにも同じ構造が見られます。

介護という文脈でも、この傾向は顕著です。最近では、ただ高齢者というだけで邪魔者扱いされたりもします。これは、高齢者を「社会のお荷物」として抑圧する社会のほうに問題があります。しかし、意識化が進んでいない高齢者は、こうした抑圧を受け入れ「他人に迷惑がかかるから」と、外出を控えてしまうことも少なくありません。

こうした心理状態を抜け出せないと、老いそのものを悪として、それを受け入れることができなくなります。結果として引きこもりがちになり、身体的にも精神的にも介護が必要な状態に至ってしまう可能性が高まります。

「銀行預金型教育法」と「課題提起型教育法」について

このような状態が生まれてしまう一つの原因は、教育にあります。フレイレは、現代社会の一般的な教育を「銀行預金型教育法」と呼んでいます。この「銀行預金型教育法」というのは「預金者」である教師が「口座」である生徒に対して「知識」を預金していくという教育スタイルです。以下にその特徴をあげます。

1. 教師が教え、生徒は教えられる
2. 教師が全てを知り、生徒は何も知らない。
3. 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
4. 教師が語り、生徒はそれを聞く(おとなしく)。
5. 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
6. 教師が選択し、その選択を押し付け、生徒はそれに従う。
7. 教師が行動し、生徒は教師の行動を通して、行動したいという幻想を抱く。
8. 教師が教育内容を選択し、生徒は相談されることなく、それに適合する。
9. 教師は、知識の権威を自分の職業上の権威と混同し、その混同した権威によって、生徒の自由を圧迫する。
10. 教師が学習過程の主体であり、生徒は単なる客体である。

もちろん、教師側も悪気があってこうしているわけではありません。むしろ生徒のためを思って、こうした教育スタイルが一般的なものになっています。しかしながら、この「銀行預金型教育法」では、生徒の意識化は進みません。

フレイレは、こうした教育が、他者から与えられた役割をただ引き受け、順応するだけの人間をたくさん生みだしてしまう可能性があると考えました。そして、これが抑圧をただ受け入れてしまう人間を量産してしまうと言います。

これに対して、教育者、生徒、両者ともに、対等な学ぶ主体と考え、対話を通して学ぶ方法が「課題提起型教育法」と言います。対話のテーマには、生活に直接関係した現実が選択されます。そして、自分が置かれている状況を批判的に観察することにより、現実に対する新たな理解、すなわち意識化が起こるのです。

こうした対話によって、自分が無意識のうちに抑圧されていることに気がつきます。その気づきがあればこそ、状況を改善するために、この社会に働きかけることができるわけです。これは、自分自身を受け入れ、自分を大切にするためにも重要なスキルです。

高齢者は「社会のお荷物」ではない

もちろん、何でもかんでも状況のせいにするのは良くないことです。しかし同時に、基本的人権が侵害されるような状況にあっても、それを受け入れてしまうようでは問題です。特に、介護現場には抑圧が多いので、注意する必要があります。

先にも述べたとおり、高齢者は、抑圧によって、自分自身のことを「社会のお荷物」であると考えてしまうことがあります。なんらかの障害を抱え、要介護状態になれば、こうした傾向はますます強くなります。

あくまでも謙遜で、高齢者本人がそういうことを言うのは、悪いことではないかもしれません。しかし「言霊」というとおり、言葉には、社会の価値観形成に対して強い影響力があります。

高齢者は「社会のお荷物」ではありません。高齢者とは、あくまでも「高齢になった人」にすぎません。意地悪な現代社会が、高齢者に対してネガティブな価値観を押し付け、抑圧しているということに気がつくことが、誰にとっても大事なことなのです。

※参考文献
・原 安利, 『パウロ・フレイレの教育論における「対話」に関する一考察』, 教育実践学論集 (12), 99-112, 2011-03
・パウロ・フレイレ, 『希望の教育学』, 太郎次郎社,(2001年)

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