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いまこそ、自分の専門性を見つめ直したい(熊本地震に際して)

自分の専門性

専門性が自分の居場所を生み出している

熊本で大きな地震がありました。こうした危機的な状況があると、多くの人が、自分が提供できる専門性はなにかといったことを悩みます。現地のニーズに自分の専門性がマッチしていなければ、現地に入っても、かえって現地の人の迷惑になることを、私たちは学んでいるからです。

仕事とは、誰かの、何らかの課題を解決することです。医師の仕事は、病気や怪我で困っている誰かを治療することです。ジャーナリストの仕事は、特定の情報を求めている人に、必要な情報を届けることです。建築の仕事は、住居や交通インフラにおける不便を解消するものです。

日々、こうした仕事をしている人々は、今回のような危機的な状況において、迷わず活躍することができるように(専門外の立場からは)感じられます。しかし、危機にある現地で求められるのは、このように、わかりやすくて直接的なニーズを解決する専門性ばかりではありません。

私たちは、日々の仕事を通して、なんらかの専門性を獲得しています。その専門性を必要としている人がいればこそ、仕事があるのです。逆に言えば、専門性は、自分がこの社会から求められる存在であるために、必要となるものです。

この社会から求められているという実感は、人間が幸せに生きるために必要な自己重要感(自分はこの社会にとって重要な存在であるという実感)にもつながっています。この実感を得るには、自らの専門性を定義し、その専門性が求められているところを見出す必要があるのです。

実務家だからこそ自分の専門性の定義に悩む

専門性とは、一般には「特定の領域における、高度な知識と経験」のことです。しかし私たちの多くは、自分の専門性を決める「特定の領域」について、それがどこなのかに迷います。「自分にできる特別なこと」「自分にしかできないこと」「自分がすべきこと」に悩むのは、基本的には「特定の領域」という部分です。

たとえば、介護業界で働いている人材の場合はどうでしょう。一般人からすれば、こうした人材は「介護の専門家」です。しかし、実際に介護業界で働いている側からすれば「介護の専門家」と言われると、領域が広すぎると感じます。

一口に介護と言っても、その中には、医学、歯学、薬学、言語聴覚学、心理学、社会学、社会福祉学、老年学、栄養学といった科学領域(サイエンス)があります。また、医療技術、介護技術、リハビリテーション技術、介護保険制度、介護事業経営、カウンセリング技術、コミュニケーション技術といった技術領域(エンジニアリング)もあります。

このように、介護業界で働く1人の人材を成立させている背景には、多くの学問があります。特定領域の学者であれば、専門性は、その特定領域とイコールなので、定義が簡単です。しかし、介護業界に限らず、ほとんどの業界においては、学者よりも実務家として仕事をしている人のほうが大多数です。

学者ではない大多数の実務家は、多様な学問の成果に「横串」を指して(学際的に)仕事をしています。だからこそ、実務家の場合は、自分の専門性について定義することが極端に難しくなるのです。

しかし、これを放置していれば、今回の地震のようなことがあるたびに、無力感を味わうことにもなってしまいます。悲惨な状態にある現地のニュースを見ながら悶々としているばかりでは、貴重な時間も無駄になってしまうでしょう。

専門性を別の角度から定義してみる

私たちの普段の仕事は、基本的に、ルーチンワーク(手順や手続きが決まっている作業)を軸としてできています。ルーチンワークとは言えない仕事もありますが、それも、1度経験してしまえば、将来に備えてルーチンワーク化されていくのが普通です。

ここで強調したいのは、自分にとってのルーチンワークは、その領域の専門性を持っていない人にとっては非常事態(めったにないこと)であるという事実です。他者にとっての非常事態を、毎日繰り返し経験している人は、その他者よりも、その事態に対して上手に対応できるでしょう。

非常事態を回避したいと考えている人にとって、その領域の専門性を持った人は、ありがたいものです。そこには、対価を支払う理由があります。だからこそ、私たちは、日々それを仕事とすることが可能になっているわけです。

たとえば、人事コンサルタントにとっては、人事制度の構築は、毎日の仕事です。しかし、この領域で仕事をしていない人にとっては、人事制度を構築することは、一生に一度もないことだったりします。そこに人事制度を刷新する必要が生まれたときに、専門性のニーズもまた発生するのです。

つまり、自分の専門性を知るためには、専門外の他者(部外者)を思い浮かべる必要があるということです。そうした専門外の他者はほとんど経験することのない、自分にとっての日々の仕事の中にこそ、自らの専門性があるからです。

ただ、このレベルでの専門性の定義では不十分です。より細かく専門性を定義しないと「自分の強み」まではわからないからです。それがわからないと、現場のニーズに対して、ピンポイントで自らの専門性を活かすことができません。これでは、最低限のことはできても、活躍はできません。

実は、先に取り上げた医師であっても、専門性を「医療」としてしまうと問題があります。より細かく、たとえば泌尿器科の中の、さらに慢性前立腺炎の専門といったレベルで定義できてはじめて、医師という業界の中での自分の「位置づけ」が見えてくるでしょう。

そうした「位置づけ」を理解していればこそ、今回の地震のようなことがあったとき、自分が現地に行くべきか、それとも寄付などの後方支援に留まるべきかという判断も可能になります。一般には病気や怪我の専門家とみなされる医師であっても「医師あれば誰でもよい」という状況は、まず、存在しないのです。

自分の専門性をより正確に定義するために有効なこと

このように、自分の専門性をより正確に定義するためには、業界の外を見ているだけではどうにもなりません。業界の内側でも、自分のルーティンワークの中にある「他者にとっての非常事態」を把握する必要があります。

このような詳細レベルでの専門性を見出そうとするとき、有効な手段となるのが、ブラック・ジョーク(ブラック・ユーモア)への着目です。意外に思えるかもしれませんが、これは、一部の社会学の領域では、珍しい切り口ではありません(それこそルーティンワークということ)。

ブラック・ジョークは、人間が極端な緊張状態があるとき、その緊張を和らげるために使う手段です。極端な緊張状態は、自分の実力を発揮するときの妨げになります。そこで、緊張を生み出している対象を「たいしたことはない」と、あえて突き放して軽く認識するために、ブラック・ジョークが使われるのです。

重要な仕事は、必ず、緊張をともないます。ですから、どのような専門領域でも、専門外の人が聞いたらギョッとするようなブラック・ジョークが存在しているのです。たまに、これが外部に漏れてしまい、特定の専門性をもった人が、社会的な非難を受けてしまうこともあります。

たとえば、医療業界や介護業界には、運命的に、人間の尊厳を軽視するようなブラック・ジョークがあります。しかしそれは、医療業界や介護業界の人が、人間の尊厳を本当に軽視しているということを意味しません。むしろ逆に、人間の尊厳に対して大きな責任を感じており、それを扱うことが極端に恐いことだからこそ、そうしたブラック・ジョークが必要なだけのことです。

とても専門外の人には聞かせられない「不謹慎なブラック・ジョーク」を思い出してください。そこが、自分が日常的に精神をすり減らしている戦場です。ですから、詳細に記述できる専門性もそこにあります。ある意味で、一般の人であれば耐えられない緊張を、日々強いられている領域だけが「自分の強み」となり得る専門性を定義してくれるのです。

専門性を定義しつつ、それが今回の地震に関係しているかを評価する

自分の詳細な専門性が見えてきたら、今回の地震に関する情報を集め、その専門性を活かせるようなニーズがあるかを評価します。そこに強いニーズがあると感じられた場合は、社会福祉協議会(社協)のホームページを確認しつつ、必要に応じて問い合わせてみてください。

社会福祉協議会は、市町村単位で設置されている、福祉事業やボランティア活動を取りまとめている半官半民の組織です。介護という文脈でも、非常に大事な組織です。ここが、災害時には、復興に関する地元のニーズの把握を行い、そのニーズを満たせる専門性を持ったボランティアをマッチングさせる機能を担います。

繰り返しになりますが、自分にとってのルーティンワークは、誰かの非常事態に役立つものです。それが、今回の地震で困っている人々のニーズとマッチしていれば、是非とも、何らかのボランティアを検討したいところです。しかし自分の専門性が、この地震における復旧・復興活動とはあまり関係がない場合は、日常業務をおろそかにすることなく、同時に、寄付といった形での後方支援をしていくべきでしょう。

以下、熊本県の社会福祉協議会のホームページになります。ここのトップに「緊急情報」というコーナーがあり、求められているボランティアなどに関する最新の情報が得られるようになっています(2016年4月17日現在は人命救助のフェーズにあり、公式なボランティアを必要とするフェーズではありません)。

熊本県社会福祉協議会ホームページ

http://www.fukushi-kumamoto.or.jp/default.asp

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