閉じる

子供の声がうるさいから保育園反対・・・という話(ニュースを考える)

子供の声がうるさいから保育園反対・・・という話

保育園の開園が住民の反対により断念されたと言うけれど・・・

待機児童問題の改善には、保育園の拡充が必要です。しかし、その設立に対して、地域住民が反対するというニュースに触れる機会が増えてきました。日本の社会福祉がどのように成立しているかを考えると、こうした事態は、本当によくないものです。残念な気持ちにもなります。

ただし注意したいのは、個々の保育園の設置に反対するのは、地域住民の自由であるという点です。待機児童問題は、国が責任を持って進めるべきマクロの問題です。ある地域において、個別のミクロな事例に反対することが非難の対象になることは、民主主義の理念に反します。

にも関わらず、少なからぬニュースは、あたかも、保育園の設置に反対している地域住民が悪いような印象を与えます(そうした意図はないかもしれませんが)。もっとも気になっているのは、それぞれの地域住民が反対している背景にある事情が、あまり報道されないことです。

もしかしたら、その地域には(それこそ介護職のように)仕事で夜勤のある人が多くて、睡眠のために、日中も普通以上に静かな環境が必要かもしれません。もしかしたら、保育園の建設予定地の正面に住んでいる人は、音楽業界の仕事を自宅でしている人で、どうしても静かな環境が必要かもしれません。

当たり前ですが、保育園の建設問題に直面しているのは、もとからそこに保育園があって、それを知った上でそこに暮らすことを決めた人たちではないのです。そうではなくて、そこに保育園がないことを知っていて、そこに暮らすことを選んだ人たちであるという点については、慎重な配慮が必要なはずです。

そうした個別の事情を考察することなしに「子供に不寛容な日本人」という印象だけが先走るのは、よくないと思います。以下、あるニュースの一例(2016年4月11日の報道)を引用します(改行は KAIGO LAB が修正)。

千葉県市川市で4月に開園予定だった私立保育園が「子供の声でうるさくなる」などの近隣住民の反対を受け、開園を断念していたことが分かった。同市の待機児童は373人で全国市区町村で9番目に多い(昨年4月時点)。

説明会に同席するなどして地域の理解を求めてきた市の担当者は「(住民の反対で)開園が延期したケースは東京都内などであるそうだが、断念は聞いたことがない。残念だ」と言う。

市によると、同県松戸市の社会福祉法人が3月、木造2階建ての園舎を完成させ、4月1日に定員108人(0〜5歳児)で開園する計画だった。予定地は市中心部に近い住宅街で、昨年8月に開園を伝える看板を立てたところ、反対運動が始まったという。

このニュースでは『「子供の声でうるさくなる」などの近隣住民の反対』というのが、保育園の設置断念の原因ということになっています。しかし「〜など」という言葉で濁されている裏には、多様な意見があるはずです。そうした意見を、もっと知りたいです。

また、千葉県松戸市で反対されているのは、木造2階建ての保育園舎ということです。相当な防音対策を施していればともかく、木造建築が、コンクリート建築以上に、防音能力に優れているとは思えません。なぜ、木造なのでしょう。この防音対策についての事実も知りたいです。

さらに、どうして場所は住宅街なのでしょう。保育園に、子供を車で連れてくる親も多いはずです。しかし、一般に日本の住宅街には、多くの車を一時駐車しておけるようなスペースなどありません。そして、親の中には駐車マナーの悪い人もいるかもしれません。建築予定とされていた場所についても、詳しく知りたいです。

待機児童問題は、日本の社会福祉の根幹に直結している

繰り返しになりますが、待機児童と保育園建設の問題は「子供に不寛容な日本人」といった話ではないはずです。もちろん、日本の未来のために、待機児童問題は解決されなければなりません。同時に、これが日本全体の問題につながっているからこそ、その原因の究明を、安易な一般化に求めることはできません。

実は、この待機児童問題は、高齢者の医療や介護の問題に直結しています。だからこそ、KAIGO LAB で取り上げているわけですが、以下、この論拠について簡単に述べます。

まず、高齢者が医療や介護のサービスを受けるとき、自己負担として支払うのは、実際にかかっている費用の1〜3割に過ぎません。残りの7〜9割は、主に、若い現役世代が(税金と社会保険料によって)負担しています。

建前としては、医療や介護が必要になった人を「社会全体で支える」ということになってはいます。しかし、高齢者が必要とする医療費は、1人あたりで、現役世代の約5倍です。また、介護が必要なのは9割以上が高齢者です。逆に、このための財源となる税金や社会保険料は、7割以上(正確な数字がないため概算です)を現役世代世代が負担しています。

このように、若い現役世代が、心身の健康が損なわれた高齢者を支える社会福祉のあり方を、特に「賦課方式(ふかほうしき)」と言います。日本では、小さな子供を抱えて頑張っている親の世代こそが、現在の高齢者が必要としている医療費や介護費を支払っているのです。

現役世代が保育園を見つけられず、仕事を辞めることになってしまえば、親が収める税金と社会保険料が減ります。そうなれば、ただでさえ枯渇しつつある日本の社会福祉財源が、ますます足りなくなってしまいます(詳細は『2025年問題の核心(介護と医療の崩壊)』を参照してください)。

そんなことを繰り返して、日本が、子供を産み育てるのが困難な社会になってしまえば、子供の数はさらに減っていきます。そうなれば、将来の社会保険の財源は、さらにもっと厳しいものになっていくわけです。そして、こうした子供の中から、将来、医療や介護の業界で働く人も出てくることまで考えれば「子供を大切にする社会」がどうしても必要なのです。

待機児童問題は、保育園が見つからないというレベルの話ではなくて、社会福祉のありかたを含めた日本の将来に直結する話なのです。こうしたスケールをもった問題の原因を、特定の地域住民による個別の事例への反対に帰着させてしまうのは、ミスリードではないでしょうか。

私たちは、この問題を、どのように考えるべきか

まず、待機児童問題は、日本の将来を決めてしまうほどに大きな問題であるという認識を、より広く共有することが必要です。その上で、この問題を解決するには、具体的に、日本のどこに、何件の保育園を増設する必要があるのかを理解する必要があります。

次に、特定の地域に、保育園を増設するときのプロセスについて、しっかりと固める必要があります。特に、過去に何度もニュースになっているとおり、場所によっては地域住民からの反対が予想されます。こうした反対を、できるだけ正確に、統計的に分析することも大事です。

そして、自宅の近くに保育園が設置されることに反対すること自体は、個人の自由です。それが四六時中、100人を超えるような多数であっても「子供の声は気にならない」という人もいるでしょう。だからといって「子供の声が気になる」という人がおかしいということにはなりません。もしそうなら、逆に「子供の声が気にならない」のもおかしいという理屈が通りますから、解決しません。

ですから、本当に必要なのは、こうした反対が最小限になるような場所を選定する方法について吟味することです。たとえば、駅ビルの中に保育園を設置すれば、そもそも電車の音のほうが大きいですし、駅には一時的に駐車しておける場所もあり、何かと好都合かもしれません。住宅街のど真ん中に保育園を建設し、日々、子供たちに「静かにするように」という指導することが、伸び伸びとした子育てにつながるとも思えません。

その上で、保育園の設置に反対する地域住民とのやりとりについて、一本化されたルールが必要です。そのルールに従っても、地域住民との合意に至れない場合は、その場所への保育園の設置はあきらめて、他のどこかを見つけなければなりません。

どうしても、保育園の設置場所が見つからないなら、その地域には、残念ながら保育園は設置できません。そうなると、その地域からは、子育て世代は出ていくことになります。そうして出て行かざるを得なくなった子育て世代のために、引越し費用や新居のあっせんを、国や自治体が行えるように法令を整える必要もあるでしょう。

どうでしょう。待機児童問題を生み出しているのは、個別の保育園の設置に反対する地域住民でしょうか。それとも、各種利害を調整しつつ、国の未来を設計する責務を国民より託され、それに対して税金から固定報酬が与えられている政治家でしょうか。今一度、私たちは、この問題の解決策について、広く議論すべきだと思います。

※参考文献
・毎日新聞, 『私立保育園:「子供の声うるさい」開園断念 千葉・市川』, 2016年4月11日
・厚生労働省, 『老人医療費の状況』, http://www.mhlw.go.jp/houdou/0103/h0306-1/h0306-1e.html
・生命保険文化センター, 『介護や支援が必要な人の割合はどれくらい?』, http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/nursing/2.html

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト

PR