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医師になったことを後悔している将来の君へ(後悔の構造)

医師になったことを後悔している将来の君へ(後悔の構造)

今日の決断が、明日の自分を決めていく

当たり前のことですが、今、なにかを決断すると、その結果が出るのは、将来のいつかです。もちろん、今日という日も、過去に行った自分の決断が生み出したものです。ここには、非常に残酷な構造があります。この構造を認識しておかないと、とても危険です。

私たちの中には「あのとき、ああしておけばよかったな・・・」と後悔することがたくさんあります。しかし、後悔の原因となっている決断は、例外なく過去のものです。今になってから、その決断そのものを変更することはできません。そうなると、年齢を重ねるごとに、後悔することは積み上がっていくしかありません。

今後は気をつければよいというレベルの後悔もあります。しかし中には、とてつもない後悔もあります。大きく後悔することになった決断は、恐怖として、人生のトラウマになります。そして私たちは、同じ後悔をしないように、価値観(物事を判断するときの基準)を変化させていくのです。

こうして私たちの価値観は、トラウマになっている過去の失敗を繰り返さないように、より安全な方向に形作られていきます。そう考えると、人間が老いるということは「どうありたいか」という積極的な態度で生きるような状態から「どうありたくないか」という消極的な態度で生きるような方向に変化していくことなのでしょう。

別の言葉で言えば、人間は歳をとると、より慎重に、より頑固に、より保守的になるということです。それはただ、同じ失敗を繰り返したくないという、当たり前の気持ちから生まれている態度です。ポジティブに表現するなら、これは「足るを知る」ということのようにも思えます。しかし、ここには非常に大きな落とし穴があるのです。

医師の中には、医学部に進んだことを後悔している人もいる

仕事がら医師と話をする機会が多くあります。医師は、多くの人にとって憧れの職業です。実際にすばらしい仕事だと思います。ですが、社会人になってから医師に憧れても、医学部に入り直すという決断は、そうそうできることではありません。時間的にも、金銭的にも、そして知能的にも不可能というケースが多いのです。それがまた、医師への憧れを加速させます。

医師は、すばらしいと思います。しかし、医師の中には、自分が医師になったことを後悔している人も少なからずいます。はじめは「まさか」と思いました。ですが、多くの医師と話をしているうちに、納得できる「後悔の構造」が見えてきたのです。

医師になるには、医学部の受験が必要になります。医学部の受験は、特に国公立の場合、東大よりも難しいのが普通です。それだけハードな勉強が必要だとわかっていてもなお、医学部を目指す学生がいるのは、やはり、医師という職業には人生をかけるだけの意味があるからでしょう。

ただ、医学部を受験して医師になるという決断をするのは、そのほとんどが、10代の青年期においてです。青年期とは、発達心理学上、自我の形成にともなう不安定な精神状態に苦しむ時期でもあります。そうした時期に、事実上の職業選択をすることには、大きなリスクもあります。経験も知識もない、精神的に不安定な青年期の人間がこれと決めた職業が、将来の自分に合っていないということは、十分にありえるからです。

医師は、ベテランになるにつれて、青年期には見えていなかった社会を認識するようになります。医師は、もともと知性の高い人たちですから、医師以外にもすばらしい職業があることも理解していきます。さらに、ベテランになった医師には、もはや憧れでは済まない、厳しい日常があるのです。人々を助けるという理想をもって医師になったとしても、救える命よりも、救えない命のほうがむしろ多いくらいなのです。

それでもなお、そこから逃げずに、医師たちは歯を食いしばって、とても厳しい日常と闘っています。医師ではない立場から、こうした医師の姿を見ていると、正直、心を打たれます。やはり、憧れます。しかし、実際に医師になった人の中には、あまりにも無知だった青年期の自分の決断が、目の前にある自分の苦しみを作っていることに対する後悔に悩む人もいるのです。

人間に与えられた「詰将棋」としての後悔

一般には成功者とみなされる医師でさえ、自らが医師になったことを後悔する人もいます。ここには、なにか構造的に後悔を生み出してしまう原因、すなわち「後悔の構造」があると考えてきました。その考えを、以下、3つの事実から探ってみます。

事実1. 人間が幸せに生きるためには成長が必要

まず、人間は、成長から喜び(充実感、自己重要感、幸福感など)を得るようにできています。生物学的には、成長するということは、生存確率と生殖確率が高まるということです。ですから脳は、成長に対して「褒賞」を与えます。この「褒賞」こそ、喜びという感情です。特定の個体を、脳内で分泌される「褒賞」の中毒にさせることで、脳は、その個体の成長をうながしているというわけです。

小説、映画、ゲーム・・・いかなるエンターテインメントも、背景には、主人公が困難を乗り越えて成長していくという要素が含まれています。ほとんどのエンターテインメントには「物語」があり、その多くは、主人公の「旅」をモチーフにしています。この事実を明らかにしたのは、世界中の神話を研究した神話学者であるジョセフ・キャンベルです。そして、人間が好む「物語」に共通する型のことを特に「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」と言います。

「ヒーローズ・ジャーニー」は、ほとんど例外なく、人生の教訓を示唆するものになっています。そして人々は、こうした「ヒーローズ・ジャーニー」から、人生の教訓を引き出すことに喜びを感じてしまうのです。この背景には、専門的には、自分以外の誰かの成功や失敗を観察することで得られる成長、すなわち「代理強化(vicarious reinforcement)」があることがわかっています。クラスの誰かが先生から褒められると、それを観察していた他の生徒も、自分の行動を改めるのと同じです。

人間が幸福のうちに生きるためには、成長が必要なのです。むしろ、成長が必要だからこそ、幸福感という感情が存在しています。人間の一番深いところ、まさに本能と言えるところに、成長を求めることがプログラミングされていると考えてもよいでしょう。精神的にまいってしまった人に提供されるカウンセリングの中核にも、その人の成長の支援があるのも、偶然ではありません。

事実2. 過去の自分よりも、今の自分のほうが知的に優れている

病的なまでに成長を求めるのが人間だとした場合、過去の自分よりも、今の自分のほうが知的に優れているのが普通でしょう。加齢にともなって物覚えが悪くなっていきますが、悪くなったなりにも、脳内に様々な知識が蓄積されていくことは(脳機能に大きな障害がなければ)事実と言えます。

これで、先に述べた医師たちの事例に対する説明がつきます。

過去、若い頃に行った自分の決断を、今の自分が後悔するのは、自分が成長した証拠なのです。後悔とはすなわち、成長した今になって振り返ってみれば、過去の自分の決断が愚かなものに見えるという、当たり前のことを指している言葉です。

逆に、成長もなく、いつまでも同じ失敗を繰り返している人は、個々の失敗を後悔できていない、つまり、成長していないということです。より正確には、成長がないために、それが自分の責任における失敗だと気づけないのです。

自分の失敗に気づけない人は、そうした失敗の原因を環境のせいにします。こうした、人間の成長を阻害してしまうときの思考の特徴は、心理学の世界では特に「自己奉仕バイアス(self-serving bias)」と呼ばれています。これは確かに、小さな自尊心を維持するためには有用です。ですが、その人のことを成長(幸福感にあふれた人生)から遠ざけてしまう、実に恐ろしいものなのです。

事実3. 後悔を恐れて生きることは、成長を否定すること

後悔したくないなら、成長しなければよいのです。しかし、成長がなければ、私たち人間は、幸福感が得られないようにできています。これは、要するに、出口のない「詰将棋」です。後悔を恐れると、不幸になります。しかし、後悔を恐れないと、自分の責任において失敗もするので、後悔することになります。

ここで、どうしても大事なことがあります。それは、後悔を恐れない場合にだけ、人間は、幸福のうちに生きられる可能性があるということです。そして、後悔をすることは、不幸とは違うという点も重要でしょう。

ただし、後悔を恐れなければ、必ず幸福になれるということではありません。取り返しのつかない、それこそトラウマになるレベルでの大失敗をしてしまうかもしれません。場合によっては、そのトラウマによって、それ以降の人生が消極的なものにもなるでしょう。すると、人生から成長が奪われますから、結末としては悲惨です。

悲惨なことにならないように、その確率を少しでも減らすためにこそ、私たちは先人の知恵に学ばなければなりません。そうした知恵によって回避できる危険は、できるだけ回避しておくべきです。このことを指して、ドイツの政治家ビスマルクは、かつて「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言ったのでした。

とはいえ、ビスマルクは、かなり保守的な人でした。こちらに偏りすぎると、誰もまだ立ち入っていない領域にチャレンジすることはできなくなり、成長も止まります。逆に、成長を止めることなく、順調に生きられた場合は、いつかは、先人などいない世界で勝負することになるでしょう。そうしたリスクの高い領域に到達した人のことを、私たち人類は、リーダーと呼んで尊敬してきたのです。

良く老いること(サクセスフル・エイジング)のキモになるのは?

後悔を恐れるが故に成長できず、不幸な一生を送ってしまえば、いずれ、自分の人生そのものを全体として後悔することになります。人生は一度きりですから、これ以上の悲惨はないでしょう。

誰にとっても落とし穴になっているのは「なにも決断しなければ、後悔のない人生が送れる」という間違いです。なるほど、自分ではなにも決断しなければ、良くない出来事があったとしても、それを自分の決断のせいではなく、環境のせいにできそうです。これはまさに「自己奉仕バイアス」の強い影響下にある状態です。

しかし、人間であれば誰もが年老いていきます。そして人生の晩年には、将来の可能性が閉じていくことが実感されます。そもそも、その先に将来がないのですから、将来において後悔することもないでしょう。死は、後悔することさえ、人間から奪い去るのですから。

では、後悔する可能性がなくなるからということで、やっと思い切った決断ができるようになるのでしょうか。いやいや、もはや、自分の将来がないのです。その時点では、いかなる決断も、自分にとっては無意味です。

死を目前としたとき、過度に後悔を恐れて生きてきた人は、自分は人生を通して「決断しないという決断」をしていたことに気がつくでしょう。そして、そうした自分の人生のすべてを、その時点で後悔することになります。意味のある人生とは、とどのつまり、足りない知性で決断をし、失敗し、そこから成長して、後悔を積み上げる人生のことなのです。

しつこいですが、本当に恐れるべきは「決断をしないという決断」です。ただ成り行きに身を任せるような人生は、人間にとって、罰にも等しい、もっとも厳しく辛い悲惨をもたらします。

だからといって、決断さえすれば、幸福になれるわけではないところは難しい点です。しかし、とにかく「決断をしない決断」は、確実な不幸につながっています。ですから、こちらの道だけは、誰もが、できるだけ若い時点で回避しておくべきです。そして、できるだけ若い時点とは、いついかなる時も「今、この瞬間」です。

今の自分が正しいと考えている決断を、恐れる必要はありません。どのみち後悔することになるのは、人間の定義のようなものです。そして、医師になったことを後悔している将来の君は、自分の人生にチャレンジしている、本当に立派な人間だと思います。

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