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意識がないように見えても、聞こえているし、考えている。

終末期の注意

気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

認識する能力 > 反応する能力

先週末の書評でも述べましたが、きちんと意識しておきたいのは、意識不明の状態にあるような終末期や重い認知症の人でも、ちゃんと聞こえているし、考えていることも多いということです。これは、周囲からの刺激に反応する能力のほうが、認識する能力よりも先に衰えることがよくあるからです。

つまり、介護者(家族)は、たとえ要介護者の意識がないように見えても「認識する能力 > 反応する能力」という意識を持つ必要だということです。とにかく、要介護者は聞こえているという前提で、自らの立ち振る舞いを整えることが大事です。

医療従事者からは、終末期には「普段と変わりない、日常的な会話」を心がけるように言われると思います。この背景には、この「認識する能力 > 反応する能力」という意識があるわけです。

身体の反応と、脳の認識がズレていく

ぜいぜい、ひゅうひゅうという呼吸音のことを、医学用語で「喘鳴(ぜんめい)」と言います。介護者(家族)としては、この喘鳴を聞くのは、とても苦しそうに見えて辛いものです。

ただ、先の話と同じように、要介護者は、反応する能力のコントロールが効きにくくなっているわけで、喘鳴の強さと、その人の苦痛は比例しないということがわかっています。ここは、医療従事者のケアを信頼して「苦しそう」というのは、自分の認知であって、事実とはズレがある可能性を理解しておきましょう。

心無い言葉を発してしまわないように

繰り返しになりますが、本当に大事なのは、要介護者は、聞こえていないように見えても、聞こえているし、考えているという前提を持つことです。周囲で会話をするときは、この前提に従って、慎重に言葉を選ぶ必要があります。

心無い言葉を発してしまい、後になってそれを深く後悔するのは、とても悲しいです。そのためにも、この前提については、よくよく認識しておきたいものです。

※参考文献
・遠藤恵, 『臨死期のケア(看取り期のケア)』, あさひかわ緩和ケア講座2010
 

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