閉じる

認知症の親を、その配偶者の葬儀に参列させるべきか

認知症の親を、その配偶者の葬儀に参列させるべきか
気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

両親が認知症になるということ

もしあなたの両親が2人とも認知症だったらどうでしょうか。すでに介護がはじまっている人の場合は、きっと色々なことが想像できる思います。とはいえ、まだ介護がはじまっていない人の場合は、もしかすると全く想像もできない生活かもしれません。

親が要介護状態、特に認知症になると、介護家族はその健康や安全を心配せずにはいられません。ほかにも、人様に迷惑をかけることにならないだろうか、と心配のタネは尽きないものです。認知症によって、親の生活に関与しなければならなくなったとき、介護家族は、どこまでそれを考えなければならないでしょうか。

例えば、服薬や食事、季節感のある服装や冷暖房、金銭などについては、管理をしなければならないでしょう。そして、介護が長くなればなるほど、その範囲や量は増えていくことが一般的です。そうしたとき、非常に難しくなるのが、冠婚葬祭への親の出席というテーマです。

認知症の親を葬儀に参列させるべきか

私は介護職として、これまでたくさんの利用者の冠婚葬祭場面に出会ってきました。例えば、お孫さんの結婚式、近親者のお葬式、法事、金婚式や初節句などです。中には、介護スタッフの結婚式に参列された方もいました。

「何がなんでも参列させたい」という介護家族もいれば「参加は難しいからショートステイで預かってください」という方もいます。もちろん介護家族や世帯の考え方、ご本人の状態、当日の環境や条件などによって、利用者が参加できるかどうかは様々です。

ここでは、参列させることが正しくて、参列させないことが悪いということではありません。ただこの中で一つ、他の冠婚葬祭と比べて大切な位置付けにあるものがあります。
それは「認知症の本人の配偶者の葬儀」です。つまり、遺されたもう一方の認知症の親を葬儀に参列させるかどうかということです。

本人が可哀想だから?

介護家族の中には、遺された認知症の親を、その配偶者の葬儀に参列させるべきか悩む方が少なくありません。先にも述べましたように、世帯ごとに、また本人の状態や、生前の夫婦関係にもよるので、ここに模範回答のようなものはありません。

しかし、遺された認知症の親を、配偶者の葬儀に参列させることは、後に続く介護生活に大きな影響を与える可能性があるのです。遺された認知症の親の、その配偶者の葬儀への参列という場面では、典型的には以下のようなコメントに出会います。

「長時間になるし、体力的にもおふくろにはキツイと思います」
「葬儀の間、ジッとしてられないと思うので連れて行くのはちょっと」
「他の親戚も無理なんじゃない、と言っているので」
「仲が良い両親だったので、参列させたら辛い想いをすると思います」
「もう子供の顔もわからないので、連れて行っても何もわからないと思います」
「慣れない環境だと本人にとって負担になると思うので」

繰り返しになりますが、確かに本人の状態や当日の環境や条件が整っていないと、認知症の方が長時間の葬儀に参列するのは難しいこともあります。それらを理由に参列を躊躇する気持ちはわかります。しかし「認知症だから」というのは理由としてはふさわしくないものかもしれません。

日々の健康や生活の管理ならば、こうした理由にも正当性があるかもしれません。しかし、遺される本人にとって、人生で1度の配偶者の葬儀は、わかっていないようにみえても、その場を体験することがとても大切というケースに、私は多数出会っています。

おとうさんは死んだのよね

これまで、認知症になった後に、配偶者の葬儀に参列した人も、様々な理由で参列されなかった人にも会ってきました。そのどちらも、普段の生活の中で、亡くなった自身の配偶者を探したり、存命であるような言動が見られたことがあります。

「おとうさん(夫の呼称)はどこかしら」
「女房はまだ家にいますよ」

こうして配偶者を探すときの言動の背景には、なんらかの不安な気持ちを想起させる環境や心身の状況があるかもしれません。長年連れ添った配偶者という存在にすがりたい気持ちの現れや、その人にとっての当たり前の日常の記憶なのかもしれません。

しかし、この不安な気持ちや環境が続くと、本人はますます不安な気持ちになっていってしまい、配偶者を求めることがあります。そうした時、介護家族だけでなく多くの介護職が「亡くなりましたよ」と事実を伝えます。このときに、葬儀への参列の有無によって、後の介護が変わることがあります。

事実に関する情報量の違いが影響する(ことがある)

葬儀に参列していても、これで納得してくれない方もいます。ただ、葬儀に参列している場合、本人としても、葬儀で自分の配偶者を見送った時のかすかな記憶にアクセスしようとします。そのとき「そうだったかもしれない」という、かすかな納得がみられることもあります。

しかし、葬儀に参列していなかったり、そもそも配偶者が他界したことを隠してきた場合は、本人は、その事実を体感した記憶として持っていません。この場合は、どうしても本人は「そんなはずはない」と純粋に感じるのです。この場合、その後の介護が混乱しやすくなるのはいうまでもありません。

もちろん、すべての人が必ずそうであるとは言えません。不安な気持ちの原因が、別のところにあることもあります。そして、参列させたくてもさせられなかったということもあるため、しつこいですが、参列させることが必ず正しいということではありません。

ただ、忘れてしまっても、わかっていないように見えても、遺されることになった認知症の本人は、喪服の色、親戚の顔、棺の中の配偶者をみています。葬儀によっては、お経を唱える声や鈴の音、お線香の匂いなども体感しているのです。

そもそも、自分が長年連れ添った配偶者を見送るということは、遺される側の人生にとって、大切な経験です。認知症を理由に、参列させるのを躊躇したくなる気持ちもわかります。しかし可能なら、できるだけ、介護職とも相談しながら、葬儀に参列させることも検討いただきたいのです。

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト