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終末期における認知症の持っている意味についての考察

終末期における認知症の持っている意味

気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

認知症は、誰もが通過することになる状態になる

認知症になりたくないと願っても、認知症とその予備軍が65歳以上の4人に1人という現実を前に、虚しいものになりつつあります。認知症は、人生の最後に、誰もがなる可能性の高い状態ということです。

臨床心理士の研究(大村, 2016年)によれば(1)認知症になっても、本人にとって大切な記憶は保持されている(2)症状の進行と共に意識水準が低下し、死者や神仏が出現したり過去の記憶が「現実」として再現される(3)こうした不合理な世界は、本人にとって心的現実である、ということです。

同研究では、認知症には、生と死が混在する世界にその人を没入させることで、死の不安を軽減させ、穏やかな死の受容をもたらす可能性が指摘されています。それを介護する側の負担はともかく、本人にとっては、合理的な状態とも言えるわけです。

とはいえ認知症の介護をする家族は辛い

認知症になると、目の前の現実が見えにくくなります。それによって、死の不安が軽減されるのは(おそらく)間違いないと思われます。それはそれで、考え方としては、少なからぬ人の気持ちを楽にさせるものかもしれません。

しかし、認知症の介護をする家族としては、これだけで、介護の負担が減ったりすることはありません。認知症にも、死の恐怖を軽減する効果があったとしても、周囲でそれを支えるのは大変すぎるのです。

介護の負担を考えるとき、要介護者に認知症があるか、ないかは、大きな意味を持ちます。もちろん、その重症度やケースにもよりますが、一般には家族だけで認知症の人の介護をするのは、負担が大きすぎて、やりきれません。

本来、介護保険の理念は、介護の社会化(家族に押し付けない)ことにあったはずです。今一度、財源となる税金や介護保険料のあり方を考え、認知症の人の介護に対して、国が積極的に関わっていく必要があります。私たちは、今後の選挙において、これを大きな論点にしていかないとなりません。

※参考文献
・『死のヴィジョンと宗教性:認知症高齢者の世界と死の受容』, 宗教研究. 別冊 89, 222-223, 2016-03-30

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