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【書評24】『詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡』谷川俊太郎・徳永進著, 朝日文庫

詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日文庫)
Amazon: 詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡

鳥取県のホスピス「野の花診療所」の医師・徳永進と、詩人・谷川俊太郎の往復書簡です。テーマは、死、生、自然、宇宙へと広がって、今生きていることの意味へと循環していきます。2008年に新書で出版されたものが、昨年、文庫版として再販されています。

医師は日々の思いや診療所の中で生を終えていく人の姿をつづり、詩人は散文と詩で応えます。往復書簡の形を取っていますが、会話という印象です。深い思索と、だじゃれや言葉遊びが同居する親しい友人どうしの「会話」に耳を傾けるように読むことができます。

徳永医師は、1974年から臨床の場で病む人と向き合い、そして看取っています。しかしそれに決して慣れることはなく、常に「初めて」の感覚だと言います。患者はそれぞれに世界で唯一の存在であって、どの患者も自分にとって初めての患者だからです。

野の花診療所で死に臨む人たちと、それを支えるスタッフの姿が、温かく、ときにはユーモラスに描写されています。深刻な状況であるはずなのに、決して暗くはなく、それぞれの章が、良質の短編映画のようです。

この目に見えるような描写について、谷川俊太郎が「徳永進という人は、ドキュメンタリストなんですよ。記録する人なんです」と言い、現場をもたない物書きにはない「リアルさ」を高く評価しています。

どの章も印象深いのですが、ひとつ例を挙げます。

『なかなおり、至難』という章で、子どもたちとの「和解」が叶わないまま亡くなる三人の男性が登場します。決してドラマチックではなく、淡々とリアルに描写されます。一人の男性は、徳永医師のアドバイスに従って「スマン」のポーズまで練習するのですが、肝心の場面で「スマン」のポーズは出てきません。

医師は「和解は大切なことだが難しい。医療者は、死を前にして患者と家族が和解に辿り着くハッピーエンドを目指しがちだが、現実はそうならないことが多い。臨床はハッピーエンドを求めてはならない。あるがままでいいではないか」という趣旨のことを言っています。

「和解って何でしょう?」という医師の問いかけに、詩人は詩人の言葉で応え、「でもぼくは自分がどんな死に方をしても、それはハッピーエンディングだと信じています。この感覚はもちろん人間関係からも来ていますが、それ以上に自分と宇宙との関係から来ているのではないかと思っています」と結び、一編の詩を差し出します。

医師の言う「初めて感」は、大切なことですが、ほとんどの人にとって、この感覚をもち続けるのは難しいことです。日々の生活が退屈な繰り返しになっていくのが現実であり、また、そうでなければやっていけないという面もあります。

医師と詩人の言葉のやりとりは、日々の生活に埋もれた「初めて感」を呼び戻すことで、あらたに見えてくるものがあることに気づかせてくれます。また、多くの人が「人に迷惑をかけない」「ぴんぴんころり」など理想的な死を望みます。その理想が重荷になることも少なくありません。

医師の次の言葉は、「理想の死のイメージ」という重荷を下ろし、より深く、ゆったりと生死を捉えなおすきっかけになるのではないでしょうか。

老いた人の死と若い人の死、違わない。信仰に支えられ死を受け入れた人と『くやしい』と叫びながら世を去る人、違わない。温かい家族に取り囲まれて亡くなる人と、人一人いない病室で亡くなる人、違わない。生きてること、死ぬこと、うーん、違わない。小さなことは沢山違うが、一番大切なことは違わない。みな同じ。最近になって、そんな気がする。

最後に、本書から、さまざまな国の死の捉え方が見える言葉を紹介します。違っていながら、どこか共通するものがあり、ユーモアも感じさせる言葉を味わってください。日本語の「息を引き取る」を他の言語でどう言うのか、谷川俊太郎がアーサー・ビナード(日本語で詩を書くアメリカ出身の詩人)の詩から引用しているものです。

・南アフリカ「幸福の猟場(かりば)へ出向く」
・スペイン語「違う縄張りへ出向く」
・ウェールズ語「山頂にたどり着く」
・フィリピン(注・多言語の中の一つ)「上のほうでどんちゃんやる」
・ハンガリー語「下から菫(すみれ)のにおいを嗅ぐ」
・チェコ語「土中で屁をこく」
 

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