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【書評17】『愛のための100の名前』ダイアン・アッカーマン著, 亜紀書房

愛のための100の名前――脳卒中の夫に奇跡の回復をさせた記録 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-1)
Amazon: 愛のための100の名前

本書は、著者の夫が脳卒中で失語症に陥った日から、医学的には不可能とされたレベルに回復するまでの5年に及ぶ記録(ノンフィクション)です。著者はネイチャーライターとして、アメリカで広く知られている作家です。

夫、ポール・ウェストも作家です。夫による小説『The Place in Flowers Where Pollen Rest(花粉が宿る花の場所)』がフランスで翻訳出版され、高く評価されました。これにより、夫はフランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」を授勲しています。

持病の治療のために入院中の夫が、突然、脳卒中に襲われます。脳のダメージは大きく、右手を中心とした身体麻痺と失語症が残ります。言葉の世界に生きる作家が失語症になることの深刻さは想像できますが、作家に限らず誰にとっても絶望的な状態です。

言葉を失い、物を見てもそれが何なのかも理解できない、さらに、感情は豊かなままあるのに、表現することができない苦しさは想像を絶するものでしょう。著者は動揺し、絶望感に襲われながらも、ネイチャーライターとして貫いてきた姿勢のまま、脳について、夫の失語症のタイプについて、治療法について、徹底的に調べます。

退院後、在宅介護が始まります。かつてとはすっかり変わってしまった夫との日々。著者は「施設に入れるしかないのか?」と迷い、取材のために世界中を飛び回り執筆していた「自由」を失って、苦しみます。

「脳卒中は家族の誰をも変化させる。しだいにわかってきたのだが、介護は驚くことに人を相手との関係から切りはなし、ただの役割におとしめかねない。」(p213)と書いています。

この思いは、介護している人すべてが感じることでしょう。かつての、妻としての関係でも、子どもとしての関係でもなく「介護者」になってしまうことの苦しさです。著者は、介護している人なら誰でも感じる気持ちを丁寧に正直に綴り、介護されている人の状態を詳細に描いています。

詩人、哲学者、自然科学者の目で記された記録は一編の物語として読むこともできます。それだけに、失語症患者の介護者としてすぐにも知識が欲しいという人には、もどかしいかもしれません。しかし、本書の詳細な記述や、著者が本文中と巻末にあげている参考文献は、役に立つと思われます。

また、あとがきとして「これまでに学んだ教訓」(p392〜403)をまとめています。著者が、独自の工夫で取り入れた方法が最新医学(出版当時)の失語症治療法と一致していたとのことです。

この教訓を3つ(本書中では12の教訓がある)だけ簡単に紹介します。原文では「ポール(著者の夫)」となっているところを「患者」とし、「私」を「介護者」として要約しました。原文は、具体的でよりくわしいものです。気になれば、ぜひ本書を手にとってみてください。

1. 集中トレーニングを行う

1日中言葉にどっぷり浸らせる。患者はいらいらし嫌がるので、殻に閉じこもるままにしておいたほうが介護者は楽かもしれない。しかし、ひっきりなしに会話に引き込む。明瞭に簡単な言葉を使って、ゆっくり話す。

2. コミュニケーションの相手が必要

失語症に完全な治癒はなく、一生を失語症とともに生きざるを得ない。患者は社会的な幸福すなわち「他者との繋がり」を失い、疎外感や孤独を感じている。そこで、取り組むべき課題は、患者にふだんと変わらない感覚、介護者との親密な関係、ある程度の責任と活動、他者と再び交流したいという気持ちを取り戻させることだ。

3. 褒めること、そしてユーモアを大切に

失語症者の口から飛び出す驚くべき詩的表現に目を留めることは誰にでもできる。また「笑い」は、悲惨な時期に一服の清涼剤になる。患者は笑いに触発されて話をしだす。それは周囲の人が患者を笑っているのではなく、失語症によくある愉快な脱線を、患者と一緒に笑っているのがわかるからだ。

ポールが失語症になったのは74歳のときでした。そして、著者はポールの18歳年下です。本書の読み方として「すでに功なり名を遂げた老人の最期」と見ることもできるはずです。夫の可能性を信じて、ともに闘い続ける著者の愛情とエネルギーに圧倒されます。

タイトルは、言語セラピーの一環として、著者の「愛称」を、ポールが一日ひとつずつ100日間作ったことからとられています。本書の最後(p405〜410)に並ぶこの「愛称」は、ポールが妻に捧げた一編の詩のようです。
 

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