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【書評35】『代替医療解剖』サイモン・シン/エツァート・エルンスト著, 新潮文庫

代替医療解剖
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代替医療とはなにか?

代替医療(だいたいいりょう)とは、本書の定義によれば「主流派の医師の大半が受け入れていない治療法」(p11)です。これは、代替医療の基礎となるメカニズムは、現代の科学では説明がつかない、生物学的には考えにくいものになっていることを示します。

もちろん、現代の科学に説明がつかないからといって、その全てに価値がないというわけではありません。今日の医学では治療できないとされた病気が、代替医療によって対応できるという可能性は、常にありえることです。

特に、介護の現場においては、医師から「これ以上、手の施しようがない」と言われてしまうケースに出会うことはよくあります。そうしたとき、要介護者とその周辺にいる人々は、代替医療に希望を見出そうとするのは、当然の行為とも言えます。

このとき、本書の著者は、3つの立場を可能性として指摘(p12)しています。それらを要約すると(1)代替医療はどれもまったく役に立たないものであり、詐欺的ですらある(2)代替医療にも効果があるのに、それを認めると自分が不利になる人々が反対している(3)真実はこの両者のどこか中間にある、というものです。

どの立場をとるにせよ、介護の現場においては、代替医療について自分なりにその背景を理解し、意見を持っておく必要があると思います。本書は、そんな代替医療を、科学の立場から切り取ったものです。科学の立場から書かれているので(2)の立場にある人々は、当然反発すると思われます。

ただ、本書の主張するところを無視してしまえば、代替医療の多くは、時間によって淘汰される運命にあることを認めてしまうことにもなります。本書は、科学の立場をとりながらも、代替医療だからと言って、それだけで切り捨てるのではなく、中立な立場で、証拠に基づいた議論を展開していくものです。

科学に代替医療が理解できるのか?

そもそも、代替医療というのは、現代の科学に説明がつかないのだから、科学の立場から、それを論じることはできないという主張は多くあります。しかし、科学に理解できないのは、背景となっているメカニズムです。その代替医療に効果があるのかどうかについては、統計的な検証が十分に可能です。

背景になっているメカニズムは、科学の立場からは怪しいものであったとしても、実際に患者からして効果があれば、医学として採用されることは十分にあります。実際に、医学の世界には、どうして有効なのか科学的にはわからないままに採用され、後に背景が明らかになる治療法も少なくありません。

たとば、本書の中(p53〜)でも示されていますが、ナイチンゲールによる医療現場の改善活動も、はじめは、あくまでも代替医療として、多くの医療関係者から懐疑の目で見られていたそうです。しかし、ナイチンゲールは統計学に明るく、自らの活動の意義を、統計という科学によって、効果という側面から疑えないものにしました。

ナイチンゲールが統計で証明したのは、今でこそあたりまえなのですが、衛生状態が患者の回復に影響するということです。当時は、それがなぜかという背景はわかりませんでした。しかし、効果があることは統計的に明らかだったので、病院の衛生状態の改善が進んだのです。

このように、科学が代替医療を理解しようとするときは、背景の理論は(とりあえず)無視して、治療の効果のみにフォーカスをします。どうして効果があるのかわからなくても、効果がある治療法であれば、まずは採用し、その背景については、後から考えればよいという立場なのです。

臨床試験という絶対

代替医療であっても、効果があるなら、問題ありません。逆に、主流になっている治療法であっても、後に効果がない(もしくはかえって悪い効果がある)ことが判明するようなことも少なくありません。

医学は、こうした苦い過去でできていると言っても過言ではありません。ですから医学は、本当に大切なのは、現代の科学で理解できる理論的な背景よりもむしろ、その治療には効果があるかどうかの証拠であるという立場を取っています。これを特に「科学的根拠に基づく医療(evidence based medicine)」と言います。

この立場は、臨床試験(特定の治療法の効果を検証する試験)を最重要視します。ただし、臨床試験の結果として効果があると認められたとしても、注意しなければならないことがあります。それは、その臨床試験の質です。きちんとした試験の質を突破していないと、本当は効果がなくても、効果があるように見えてしまうことがあるからです。

信頼に価する臨床試験で採用されるのは、専門的には7つのステップを踏まえる「二重盲検法(ダブル・ブラインドテスト)」と呼ばれるものです。以下、とても大切なことなので、本書の記述(p118)をベースとして、少し詳しく述べてみます。

1. 対象群と治療群とが比較されること

治療を受けていない対象群と、臨床試験の対象となる治療法が与えられる治療群の2つの結果を比較するというものです。その治療法で効果があるように見えても、むしろ、自然治癒に任せて放置しておいたほうが、よりよい結果が出るというケースも少なくありません。歴史的には、高い治療費を払って治療された富裕層(治療群)のほうが、その治療法を受けられなかった貧しい人々(対象群)よりも高い死亡率を示したことが(何度も)あります。

2. どちらの群にも、十分に多くの患者が含まれること

誤解されやすい点ですが、これは、治療の効果の個人差を「消す」ための作業ではなくて、個人差を「正しく試験結果に反映させる」ための作業です。個人差があるなら、そうした個人の特徴について明らかにして、似たような個人だけを抽出し、その治療法が有効になる条件を明らかにする必要があります。現代の臨床試験は、そもそも設計段階で、こうした個人差に関することも含まれているケースが多いそうです。

3. 群への治療法の割り振りは、ランダムであること

臨床試験の対象として、いったん選ばれた群の中にも、所得や生活環境、学歴や価値観といったバラツキがあります。こうしたバラツキによる影響を消すためには、対象となる群の中で、治療法はランダムに与えられないとなりません。ここで、ランダムな割り振りによって消されてしまう条件が重要になる場合(たとえば、寒い地方に在住しているといった生活環境など)は、群を選び出す段階で、それを考慮します。

4. 対象群には偽の治療法を与えること

治療される治療群に対して、その治療法が与えられるのは当然です。しかしこのとき、治療群と比較される対象群に対しても、偽の治療法が与えられることが重要です。そして、それが偽の治療法であるということは、対象群の人々には伝えられません。これによって、臨床試験が行われる人々は、皆が、その治療法が自分に与えられていると考えます。これによって、治療法が与えられているという自覚による心理効果(プラセボ効果)を、臨床試験の結果から取り除くことができるからです(詳細の後述があります)。

5. 対象群と治療群を同じ条件下に置くこと

臨床検査においては、対象群と治療群の比較をしていくわけですが、このとき、それぞれの群が違った条件下(睡眠、食事、運動、仕事など)に置いてしまってはなりません。違った条件下に置いてしまうと、たとえ効果があったとしても、それが治療法によるものなのか、それとも別の条件によるものなのかが不明になってしまうからです。これは、人間を対象とする臨床検査においては、かなり難しい部分になります。しかし同時に、臨床検査の質を担保するためには、非常に重要な条件になってきます。

6. 対象群にいるのか、治療群にいるのかをわからなくさせる(ブラインド)

先の4の条件にもにていますが、臨床試験が行われる患者には、自分が対象群にいるのか、治療群にいるのかをわからなくさせます。これが重要なのは、4の条件と同じように、自分が治療を受けているという自覚があると、その心理効果(プラセボ効果)によって病状が回復してしまうことがあるからです。心理効果は、それはそれで重要なものなのですが、臨床試験が目指しているのは、その治療法自体に効果があるのかを検証することです。心理効果(プラセボ効果)は、この検証の邪魔になります(詳細の後述があります)。

7. 医者が与える治療法も、本物か偽物か不明とする(ダブル・ブラインド)

医者(または代替医療の提供者)が、特定の治療法が本物であるか偽物であるかを知っている状態も、結果となる効果に影響してしまいます。特に医者(または代替医療の提供者)は、自分の治療法に自信をもっていることが多いものです。その自信が、臨床試験のときに患者に伝わってしまうと、患者はその影響を心理的に受けてしまいます。これも、心理効果(プラセボ効果)に関わることであり、臨床試験にとっては邪魔になります(詳細の後述があります)。

心理効果(プラセボ効果)さえあればよいのか?

ここまで何度も触れてきましたが、医療行為には、無視できない心理効果(プラセボ効果)があります。本当はその治療法には効果がなくても、その治療法を信じることによって病状が回復するということは、実は、非常に多いのです。しかも、この効果の中には、一般の想像を超えて大きいものがあります。

心理効果(プラセボ効果)については、第二次世界大戦の末期(1940年代)における野戦病院にて、鎮痛剤(モルヒネ)が足りなくなったときに、生理食塩水を鎮痛剤と偽って注射するという方法によっても大きな鎮痛作用が得られたことをきっかけとして、研究が進んできました(p105)。

ちなみに、きちんとした臨床試験によって効果が認められているのですから、現代の通常の医療においても、こうした心理効果(プラセボ効果)は大切にされています。ですから、心理効果(プラセボ効果)も上手に活用しているのは、代替医療だけでなく、主流の医療でも同じなのです。

たとえば、患者に薬を与えるときは、錠剤よりも注射のほうが高い心理効果(プラセボ効果)が得られることがわかっています。薬の場合でも、1錠よりも2錠のほうが、この効果は大きいのです。不安には緑色の錠剤が、抑うつには黄色の錠剤に効果があります。バカバカしくても、高級感のあるパッケージに入った薬のほうが、心理効果(プラセボ効果)は大きくなるのです。

さて、代替医療の中には、その治療法自体には効果がなくても、心理効果(プラセボ効果)があれば十分ではないか、という意見もあります。この主張には一理あります。しかし、代替医療は、主流になっている医療を否定するところで存在していることが多く、こうした心理効果(プラセボ効果)によって、患者が主流になっている医療を拒否してしまうとき、どうしても問題が大きくなります。

きちんと、現代の医療によって検査をして治療を受ければ助かる命も、代替医療によって失われてしまう場合が、現実としてあるのです。たしかに、心理効果(プラセボ効果)は重要なものです。しかし、それが結果として、患者による、主流となっている医療の拒否につながってしまわないように注意しないとなりません。

まとめとして

本書『代替医療解剖』は、現存する様々な代替医療(特に、鍼治療、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法)について、質の高い証拠に基づいて評価している白眉(=同系統の中でも随一の存在)です。個々の代替医療に関する評価結果については、ぜひとも本書を読んでいただきたいと思います。

それでも、今、世界で大流行している瞑想(メディテーション)についてだけ、本書からの情報を述べておきます。まず、瞑想には、さまざまな生理学上の変化を起こす力が認められています。ただし、瞑想によって精神疾患が悪化するケースも複数、報告されています。瞑想のトレーニングを受ける場合は、こうした危険性についても、きちんと伝え、これを回避できる熟練したトレーナーを選ぶことが大事でしょう。

冒頭でも述べたとおり、介護の現場においては、医師から「これ以上、手の施しようがない」と言われてしまうケースも多数あります。それによって、代替医療を検討することになる要介護者も多いでしょう。だからこそ私たちは、代替医療とはなにかを自分なりに理解し、場合によっては、その心理効果(プラセボ効果)にも頼る必要があるのです。

注意したいのは、代替医療を頭から否定するのは間違いだということです。それが将来、本当に効果があると認められる可能性は常にあるからです。同時に、効果が証明されていない代替医療を完全に信じてしまうことも危険です。こうした代替医療をめぐる難しさについて、アメリカの物理学者カール・セーガンによる講演(1987年)の言葉(p466)を、最後に引用しておきたいと思います(改行のみ、KAIGO LAB 編集部)。

二つの相矛盾する必要性のあいだで、デリケートなバランスを取らなければならないと思うのです。提示された仮説は、とことん懐疑的に吟味すること。それと同時に、新しいアイディアに対しては、大きく心を開いておくことです。

もしも懐疑的なだけなら、新しいアイディアはひとつも理解できないでしょう。新しいことは何も学べず、世界は無意味なものに支配されていると信じ込んだ、気むずかしい老人になってしまうでしょう(もちろん、その意見を支持するデーはたくさんあるわけです)。

一方、騙(だま)されやすいほどに心を開き、懐疑的な思考がまったくできなければ、有用なアイディアを価値のないアイディアから選り分けることはできません。もしもすべてのアイディアが同じくらい正しければ万事休すです。なぜならその場合、どのアイディアも正しくないということになるでしょうから。

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