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【映画評1】『0.5ミリ』安藤サクラ出演, 安藤桃子監督(ネタバレ注意)

0.5ミリ [DVD]

生きるとは、どういうことなのか。

本作品は、監督自身の8年にわたる介護経験から書き下ろした小説が映画化されたものである。導入から「性」と「介護」のグレーゾーンが強調されるが、悲しい印象はない。

導入から事件、そして話は本題に入っていく。唐突な事件は、テンポの良さにかき消され「ああ、普通のことなのかもしれない」という残像となる。そういうことは、私たちの周囲にもあったはずだ。

事件にまきこまれた直後、主人公が偶然会う老人は、主人公との別れに際して何度も「さよなら」と振り返る。この「さよなら」が、本作品の「ヨコ糸」になっていく。

これに対して、老人が発する「ありがとう」という言葉は、本作品の「タテ糸」である。これは、主人公の背中のずっと深いところ、すなわち、映画を観ている者も含めた「全体」に向けて発せられていく。

いやらしい社会だが、愛おしい

次に主人公が会う老人は、投資詐欺にまきこまれようとしている。これも、今の日本で、現実に多発している話である。ただ、普通に生きていると見えないだけだ。しかし、自らが高齢者になれば、嫌でも向こうからやってくる。

老人の、詐欺師に対する「ありがたいこっちゃ」という言葉も「全体」に向けられている。老人はただ、友達が欲しかった。そういえば、それは、とても難しいことだった。

主人公は、老人にとって自らの命よりも大切な、ビンテージの自動車に乗せられる。そして「さよなら」と「ありがとう」と。自動車を手放した老人は、もはや死んでいるようだ。死ぬのだろうと思う。

悲しいようでいて、明るい

本屋で、エロ本を万引きしようとする老人に出会う。分別がないのではなく、老人にとってレジにエロ本を運ぶことは、犯罪者になるより苦しいことだ。老人は、教師であった。

教養も高く、カントのように厳格な教師が、エロ爺である。現実とは、そういうものであることを、また思い出す。主人公の若さは、老人にとって「残酷」である。しかし「残酷」が、認知を高める。一時的に、認知症から回復したかのよう。

食事と食事の合間に、ちょっとのエロがある。この厳格な教師の毎日は、それだけだ。ただそれだけで、嬉しい気持ちになる。

戦争という「残酷」は、老人に「守るべきもの」を気づかせた。そして、日本人は愛されていない、愛する対象を見つけることもできないと嫌みをいう。「残酷」が足りないと言うのか。

ゴミを拾う酒乱の老人との生活

私たちは、自分の知らない「残酷」を生きてきた人間と、同じ時間を生きている。人生とは壮絶なものだから、老人ともなると、生きた長さの分だけ「残酷」が与えた認知は深く、暗いはずだ。

しかし、私たちは、そこに敬意を払うことができない。実際に、老人のリアルには、敬意を払うほどのものもない。ゴミを拾う老人は、酒乱で「暴力」をふるう。

走り出す車の中から、別れる老人を振り返るとき、本当にそのときだけ、老人との「つながり」が意識される。それはとても大切なものだった。

人間には、別れが与えられていることが、救いなのだろう。その「残酷」が、私たちの認知を高める。そして本作品は、老人とともに生きることの意味が、ここにあると伝えているように感じる。

人生とは、なんだろうか。

「性」と「暴力」のセットは、平凡な表現戦略だ。大江健三郎を持ち出すまでもなく、使い古されている。ただ、戦略が使い古されるということは、その効果が疑えないということでもある。

本作品のオリジナリティーは、「ありがとう」=「性」=「全体」をタテ糸に、「さよなら」=「暴力」=「残酷」をヨコ糸として、そこに『0.5ミリ』のスキマを生み出したことだ。この手法は、おもしろい。

タテ糸、ヨコ糸が織りなす「ザル」のスキマの向こうに見えるのは、食事をし、排泄をし、洗濯をし、掃除をし、寝て、調理をし、また食べるという、そういうこと。

本作品は「生きる」ことの暖かい価値を、わずか『0.5ミリ』のスキマから見せてくれた。見事としか言いようがない。
 

『0.5ミリ』の映画賞受賞歴

・第39回報知映画賞・作品賞、助演男優賞(津川雅彦)
・第36回ヨコハマ映画祭日本映画ベスト10 第3位、監督賞、特別大賞(津川雅彦)
・第88回キネマ旬報ベストテン 日本映画ベストテン2位、主演女優賞(安藤サクラ)
・第69回毎日映画コンクール 女優主演賞、脚本賞
・第57回ブルーリボン賞 主演女優賞
・第38回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
 

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